音楽/チェロ

2023年9月 7日 (木)

もはやこれまでか・・・

左手親指の第3関節を痛めて何年になるだろうか!?
わたしはこれまで身体のいろいろな故障を乗り越えて80目前まで生きてきた。あるときは右手のシビレにもだえながら、あるときは山歩き中に足の痛みにうずくまり、あるときはめまいで何かに掴まらなくては立っていられなくなるのを繰り返し、あるときは堅い雪の上にたたき付けられ息ができないほどの堪えられない痛みに悲鳴を上げ、「あぁ、オレの人生もここまでかな」と何度も思ったほどだった。
しかし、これらの苦難をわたしは知らないうちに奇跡的に乗り超え、なんとか自分の身体を脳の指示通り動かすことができてきたことは大変ラッキーなことだった。
しかし、この左手親指の痛みだけはすでに数年経ち、整体やスポーツ整体、医薬品、サポーター、固定具などいろいろな療法を試してみてもいまだ奇跡は起きていない。
原因ははっきりしていてチェロの無理な練習にある。Bachの無伴奏チェロ組曲の6番のPRELUDEのほんの数十小節を何度も繰り返し練習したのがいけなかった!...
以前はなんの問題もなく弾けていたのにいつのまにか弾けなくなっていた。「歳を取ったのだから仕方ない」と思いながらさらに練習を重ねるとイタミが出てきた。こんなことはたまにあることで休み休み続けたのだがそのうち弾きながら急に痛みが走るようになった。
しかし、老い先短い中、こんなステキな曲が弾けるならたとえボクの指が壊れ様がそれはそれですばらしいことではないか?と思うようになり痛くてもさらに弾き込むようになった。しかし、やはり限界はじきに来てしまったかな・・・
まったく弾けなくなってしまった訳ではありません。少しは引けるんですが時々痛みが走ったり、その後で痛くなったりします。Img_2026_20230907135901

これはわたしの手のレントゲン写真です。実はわたしは頸椎・胸椎・腰椎の各関節が変形し関節の隙間も狭くなり、痺れや痛みや肩こりはかなり以前から起きているから結構慣れっこになっている。だから今回も「あ、またか」程度の認識だった。
1つ目の写真は左手全体、2枚目の写真は左右の親指だけのレントゲン写真。第三関節を見比べると左の方が隙間がないことがわかる。ほんらいここにコンドロイチン等が詰まっている所で、このように骨と骨が擦れ合う場所ではない。
医者に言わせると「手術で痛みを取ることはできます、ただ元通り動くかどうかは保証できません」とのことなので「今さら手術してもな〜」と思うこの頃。
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「BACHを弾いて手が壊れるならそれはそれで本望である」と思ってこれでもかと弾き込んだのは事実である。その結果さらに故障を早めたのも事実である。
さいわい、まだ弾けるバッハの曲もあるし、チェロ以外にも楽しみのカードはまだ何枚も持っている。
わたしは嘆いているのでもなく同情を誘っているわけでもない。80歳の青春のある出来事を記しておきたいだけの話である。

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2023年8月26日 (土)

第49回木曽音楽祭

この地は元々は木曽鈴木ヴァイオリンの工場があったりと音楽への関心が高かったのだろうが、こんな田舎町でこんな地味な曲目で4日間毎年会場を一杯にする音楽祭が他にあるだろうか。(もしかしたらスズキメソドの鈴木 鎮一も関係者か)
曲目も作曲者もわたしにとってはほとんど知らない弦・管の混じった三重奏から七重奏までの小編成のアンサンブルだけで構成されたプログラムで通している。
そんな音楽会も今年で49回目となる木曽音楽祭、諸般の都合で3日目のプログラムしか聞けなかったががこの日のプログラムの作曲者はFranz Berwald:大七重奏曲 変ロ長調、August Klughardt:葦の歌 op.28、Franz Doppler:ノクターン op.19、Max Reger:クラリネット五重奏曲 イ長調 op.146 の4曲。わたしはどの曲も聞いたこともない作曲家だしもちろん曲も知らない。毎年こんなプログラムだから曲目によって日程を決めるのではなく予定によってプログラムを決めている。それほどどのプログラムもすばらしい曲目であり演奏もすばらしい。すなわち「どれを選んでも間違いない」というか連泊して全てのプログラムを聞きたい(わたしの友人も全曲を聴きに来ている)。
写真は14時開演のホールの様子。
駐車場は一杯になりバスが横付けし観客が集まり出すと外庭で管楽器の演奏が始まる。これが開場の合図。49img_3428

さて、ことしは少し様子が違った。わたしは上記の曲目を聞くために座席についてその2曲目(クルックハート作曲 葦の歌 op.28)を聞き終わったとき、「もうこれ以上なにも望まない」、「このまま帰ってもいい」という感動に溢れ動揺した。(演奏 Ob.古部賢一 Vla.村上淳一郞 Pf.津田裕也)
休憩時間、慌ててプログラムに目を通すが文字が小さく薄暗い会場ではまったく読めない。後日気がついたがこの曲にはレーナウの「葦の歌」という連詩が添付されていて、それも大変興味あるものだったのでここに転載させていただく。Img_20230829_0001_20230830074801
というわけで今宵もまた大変有意義な体験を楽しませていただいた。
帰りは登り道で20分程かかるが心細くテントキーパーをしているアマティのもとに薄暗くなりかけた道を急いでキャンプ場に帰った。

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2023年6月29日 (木)

横浜のシウマイ弁当

わたしの知る限り静岡市内ではJR静岡駅の食彩館と静岡伊勢丹でシウマイ弁当を売っている。冷凍シウマイはいつでも手に入るが、このシウマイ弁当は入荷の時間が決まっていてそれに合わせて買いに行かないと買うことは出来ない。まぁ、このお弁当が買えたことはかなりラッキーな話なのである。
なぜかシウマイが1個増えてるような気がするが(当時は4個では無かったか?)大好きなタケノコの煮物、かまぼこ、玉子焼き、青梅、そして最後に食べるのがアンズの甘煮。ただ当時から足りないものが瀬戸物のひょうちゃん(醤油差し)等など・・・ 
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わたしにとってこのシウマイ弁当は単においしいだけでは無く大変思いで深い弁当なのだ。

当時わたしは毎日曜、東京の先生の元にチェロのレッスンに通っていた。蒸気機関車から電気機関車に切り替わりやっと落ち着いた頃だったな。所要時間は片道4時間半。往復9時間かかった時代である。窓から海や山を眺めるのが大好きな少年だったな。東京駅に近づくと左の車窓から東京タワーの基礎から完成まで毎週の変化を楽しめたものだ。
高等学校では毎週往復分の学割を出してくれたがなんせ距離が近すぎて片道100円位しか割引が利かなかった。この200円で横浜駅でシウマイ弁当を買うのが帰りの喜びだった。そのうち準急東海2号(片道3時間)が営業を始め、準急に乗って帰るか4時間半掛けて横浜駅でシウマイ弁当を買うか毎回悩んだものだ。

お弁当を広げるとさっそくアマちゃんがやってきた。顔には「ボクもシウマイ弁当が食いたい」と書いてあるが、たぶん玉ネギが入っているからあげられない。仕方なしにマグロの煮たヤツを(ちょっと味が濃いが)アマティにあげたら大喜びしていた。どうしてもこの子を前に心を鬼にすることはできない。
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2023年3月21日 (火)

Bachの誕生日にBachが弾ける喜び

左手親指の第三関節を痛めてもう2年以上になるだろう。いろいろな治療や奏法を試みているがなかなか厳しい。
最近もチェロを弾くのをやめていたが数日前から痛みが和らぎ弾き出していた。
そして今日はBachの誕生日(旧暦)。「今日弾かずしていつ弾こうぞ!」というわけで愛器を取りだしてII番を弾き出す。楽しい。吸い込まれていく。Bachのつぶやきが聞こえる。Bachの心が覗ける。Bachの息づかいが聞こえる(Casals-TOBEL版使用)。
至福の時を過ごしながらの2時間余り、フラフラになって楽器を置くが親指に大きな障害は残ってないようだ。
あきらめかけてたチェロだがまだ弾き続けられるかな!?
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2023年1月19日 (木)

楽譜が見えない・・・

左手の親指第3関節が痛くて,暫くチェロを弾くのを控えて治療に専念していた。が、最近どうにも時間の過ごし方がよくなくて久しぶりにBachを弾いてみたらこれがバカ楽しいではないか。痛みがすっかり取れてしまったわけではないが(以前のようにビリッという痛みはない)、かなり回復していることが感じられる。
そこでライフワークにCasais,Tobel,Bach の楽譜(解釈本)を引っ張り出してきたら、おぉ、なんというか、自分のために(ヨーロッパの変形A4を普通のB4に拡大コピーした特製楽譜が見えない。Tobel,Bachは解釈本なので、指の番号までがCasalsの解釈に重要なのに、それがほとんど見えない。
う〜ん、チェロを休んでいた間、スマホで目を酷使してたのが原因だろう・・・気にはしていたが、一旦手にするとなかなか離さない。
まずは[一難去ってまた一難]の連続である。これがいわゆる「老い]なのであろう。Ggimg_0792
すでに楽譜専用眼鏡を一体何本作ったことだろう。いまは小さな指番号を鉛筆で拡大する作業に入った。

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2023年1月 1日 (日)

ジャマされた弾き初め

左手は相変わらず痛かったが、Bachの無伴奏1番を気持ちよく弾くことが出来た。事の始め,年の初めにふさわしい素晴らしい曲だと思う。Vivaldiも新春にふさわしい明るい曲で,とてもいい気分で弾き初めを終えようとしていた。するとアマティは何を思ったかチェロのすぐ横に来て、わたしが続けてチェロを弾くことを遮った。「なんという子?」と思いながらもかわいいので写真を撮ったのだが、どうやらわたしの横にあるピアノの上にアマティのおやつが乗っていた。これを狙っていたのだ・・・
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2022年12月31日 (土)

今年の弾き納め

毎年恒例の弾き納めが出来るかどうか心配していたが、なんとか無事に終了した。今年は左手の親指の関節炎で1年中悩まされた。いろいろな治療を受けたり徹底的に手を休めたりしたが、大きな違いは出ていない。一時はピアノトリオの練習を復活して貰ったが、アンサンブルは1人で弾くのと違って指の力の抜き方が難しく、その時は痛くなくても後で痛くなるので、我が儘を言って休止して貰っている。
最近、少しずつ弾き出しているが弦をまたいだりするとズキンとくる。そんなわけで今日の弾き納めはVIVALDIのヴァイオリンコンチェルト(チェロ版)D-Dur、op3-9 を引っ張り出して弾いてみた。久しぶりのVivaldiは楽しかった。Dsc05875
最後にBACHの4番のプレリュードを弾いて終わりにしようと思ったが、この曲は弦をまたいでばかりいるので,途中で痛くなって終わりまで行き着けなかった。 これえが今年を象徴する出来事だから仕方ない!
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明日の弾き初めはBachの1番から初めてVivaldiに行こう。

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2022年10月21日 (金)

ヴァオリン工房 CATS

いつだったが多分8月初旬だったか、日吉のヴァイオリン工房CATSにチェロの駒を作ってもらいに行ったときだったと思う。たしかテレビ東京だったかが日吉の町の紹介でCATSに取材に入っていたのに鉢合わせした。
その後9月に入って神奈川に住む友人から「テレビにでてたよ〜 アド街のcatsでチェロを引いてた!」との報告があり「そーなんだ」で終わったはずが、10月になって「先ほどお昼ご飯食べながら「アド街ック天国」を見ていたら、日吉の街を案内していて、キャッツの鈴木さんが出てきたと思ったら、チェリストの松下さんと言って、先生が出てきたので、びっくりしました。」と言ってスマホで録画した動画が送られてきた。そのあとも何人かから報告があり、ついに写真まで手に入った。
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2022年9月13日 (火)

本当にチェロが好きなのか?

今月に入って、アマティはチェロの下に入って寝入る時が多くなってきた。
当初わたしはこの現象を見て「アマティは音楽が好きなんだ」とか毎日BACHを弾いているので「アマティはBACHが好きなんだ」と喜んでいたが、この場所は部屋のエアコンの冷風が吹き降りる場所なので、音楽が好きと言うより「一番涼しい所を知っている」という結論に達してきた。
ところが、どうやらその仮説も崩れてしまったようだ。
アマティがこの部屋でエアコンの風が一番冷やしている場所を告知しているはずなのに、9月に入るとその場所から1m程ズレたチェロの下に潜り込む様になったからだ。
そこで、本ブログの過去を振り返ってみると、例年9月になるとチェロの下に潜り込む写真が出てくる。まさか「音楽の秋」を楽しんでいるとも思えない。
1枚目の写真(2枚目も)はチェロのエンドピンがアマティの頭蓋骨に当たっている。これは音叉の軸を頭に当てていると同じ行為である。またレコードの針の部分に例えることも出来る音響的に大変重要なことである。
もしかしたらアマティはチェロの響きが好きなのかもしれない。だとするなら9月になって潜り込む理由にはならない。なお、12月に入りガスストーブを使うようになると、アマティの寝場所は1m程ズレてストーブ前に移動する。
今後まだまだ観察を続けなくてはならない。
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チェロの下でリラックスするとこのようになる。
所で次の2枚の写真は大変珍しいのだ。アマティはチェロに近づくとき必ずと言っていいほど顔を右に向ける(先の2枚の写真のように)のだが、今晩はなぜか逆の左に首を向けている。これも謎の1つだ。
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2022年8月23日 (火)

伝記「パブロカザルスの生涯」

わたしはカザルス(1876-1973)の資料は全て集めていたつもりだったが、ロバート・パルドック著「パブロカザルスの生涯」は持っていなかった。それはパルドックなる人物が音楽史上も持っている資料の中からもうかがい知れなかった要因が大きい。
しかし、PABLO CASALSの[BACHの無伴奏チェロ組曲]の解釈本を書いているDIRAN ALEXANIAN、MADELINE FOLEY、RUDOLF von TOBEL の3人を調べていたらこの本を貸して下さいる方がいた。
この本、分厚く325ページもある。しかも、この本を読むためにもう一つ老眼鏡を新調しなくれはなら無いほど小さな文字なのだから、かなり読むのを躊躇すること1ヶ月。
わたしとしては CORREDOR著「カザルスとの対話」をバイブルのように読みあさり「今さら伝記も無いだろう」とも思ったのだが、せっかくこんなに重い(重量が)本を貸して下さったので読まないわけにはいかないと、覚悟を持って読み始めた。
それが読めば読むほどすごい本で、カザルスのすごさも伝わってくるが著者ロバート・パルドックの資料の集め方とその分量、そしてそれらの分析力に圧倒され深く読み入ってしまった。
それはわたしが少年の頃名前や演奏を耳にした著名演奏家がカザルスの友人として何人も何人も登場してくるからだ。いや演奏家だけでは無くだれもが知る作曲家が友人として登場してくるではないか。しかもその時演奏したギャラの金額までが詳細に記されているとは・・・ もう伝記としてはわたしの思考範疇を超えていた。
確かに伝記とは遙か昔の偉人の生涯を描くものであり、わたしが会ったことのある人、没後10年ほどで書かれた伝記を読むのは初めてだからそれは驚いた。
読み進むウチについにDIRAN ALEXANIAN、MADELINE FOLEY、RUDOLF von TOBEL の名前が出てくる。3人ともカザルスの弟子のようだが特にトーベルは親しい友人でもあった。彼ら(フォーレイは女性)は自ら受けたレッスンの内容や他の人が受けているレッスンを詳細にメモしてこれらの本を書き上げたようだ。
読み進むうちカザルスのチェロストとしても指揮者としても音楽家いや、人間としての偉大さは並大抵もものでは無かったことが今さらながらヒシヒシと伝わってくる。

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わたしがカザルスを知ったのはチェロを始めると同時だった。入学した高校にオーケストラ部があったので見に行ったらチェロを触らせてくれた。これがきっかけで父親に「チェロを買ってほしい」と頼んだらすぐに買ってくれ、同時にパブロ・カザルスのBACHの無伴奏チェロ組曲のレコードを買ってきてくれたことに始まる。父は音楽には全く造形は無かったから、師範学校の先生か友達から「このレコードを聴かせておけ」と言われたのだろう。
このレコードを何度も何度も聞くうちにチェロのことがだんだん解ってきた気がするし、その後のわたしのチェロ弾きとして大きく影響したのは言うまでもない。
ところでわたしはカザルスの生バッハを聴いたことがある。1961.4.16銀座朝日講堂でカザルスの公開レッスンが催された。当時毎日聞いていた「レコードとそっくり」なんだと思ったことを覚えている。
しかし、受験を控えて課題曲はバロックソナタとロマン派のコンチェルティーノが主だったのでバッハからは離れるが、30代になってから井上先生に師事しフルニエ版バッハに取り組むも、ピアノ三重奏団の活動が忙しくなり再びバッハとは遠ざかる。
全て公職から退いた頃(70歳)、トーベルのバッハ解釈本を手に入れ、自分のライフワークがカザルス/バッハの6曲の無伴奏であることに気付く。この楽譜で弾くと55年前によく聞いたカザルスのバッハの音楽が息づかいが蘇ってくるのだった。
解釈本と書いたが形態は解釈譜と言えるもので、楽譜に指使いからボウイング、フレーズ、強弱、アクセント、息づかい等が詳細に書き込まれている。したがって楽譜としては大変見にくいのだが、文章で書かれるよりは解りやすい。
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伝記から大きく脱線してしまっているがこの本のもう一つの収穫は大好きなヴァイオリニスト ALEXANDER SCHNEIDER が度々登場することである。シュナイダーはカザルス音楽祭オーケストラのコンサートマスターを務めているヴァイオリニストだが、実は[Waltzes from ld Vienna(古きよきウイーンの調べ)]というタイトルのレコードを出していて、これがすばらしくわたしの心を虜にする演奏なのだ。またまた脱線してしまった。

ここからが本題。わたしの余生はトーベルのバッハを通してカザルスの演奏にせまることである。しかし、この楽譜だけでは疑問点もあるのでその時にはフォーレイ、さらにはアレクサニアンの楽譜を参考にして疑問を解決しながら進めている。しかし、こんな大仕事をするには歳を取り過ぎているができる範囲で余生を楽しみたい。

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