音楽/チェロ

2018年4月 8日 (日)

「からたちの花」が散った

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まもなくからたちの花が咲く時期だが、わたしの大事な大事な心の糧となるからたちの花が散ってしまった。
わたしの今あるのは小学校5・6年に受け持たれた新井安先生の影響がすごく大きい。先生は軟弱でシャイなわたしに自信を持たせてくれた大恩人である。

新井先生はわたしたちの卒業間近に教室で山田耕筰の「からたちの花」を歌って聞かせてくれたことがある。その素晴らしさがずっと今まで心に響いていたが(その後クラス会等で何度か歌って貰った)、先日100才にして2度と聴くことができなくなってしまったことを知った。
葬儀の前日、わたしは夜中に起き出して楽譜棚をゴソゴソしだし、ついに「からたちの花」の楽譜を見つけた。
当日、わたしは楽器を担いで会場に駆けつけ、ご親族に「入場でも退場でもいいから何処かでチェロを弾かせてくれ」と押し売りし(こんなことはいまだかって初めての試み)、司会の方が「弔辞の中でやりましょう」と言うことになり、最後の6番目で弾くこととなる。
すると、弔辞の何人かが「新井先生のからたちの花」のお話が披露され、「そうなんだ、皆がこの歌に感動されていたんだ」というお話のあとわたしがいきなりこの曲を弾き出したから、急に後からざわめきや嗚咽が聞こえだしオドロキながらも弾き切った。
そんな訳で参会者に喜ばれ、精進落としではアンコールを弾かされたいへんだった。
参会者の中の某校長先生(お名前を存じ上げないが[満]とあった) が即興で創ってくれた句がこれである。
              師を偲ぶ
               チェロの演奏
                  春惜しむ    
 

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2018年3月 5日 (月)

飛べ飛べアマティ

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山の小屋に来ている間は毎朝元気に飛び跳ねています。

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左上はやっと白梅が咲きだす頃です。

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2018年2月 2日 (金)

A.Vigneron(チェロ弓)

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2本のヴィネロン(ヴィニョロン)は上が AndreVIGNERON(1881-1924)で、下がJeseph Aether VIGNERON(1851-1905) です。この2人は親子の関係にあります。
どちらも大変いい弓なのですが(特にお父さんの弓はすばらしいのですが)、サインである刻印がすり切れて消えかかっているので今のうちに記録に残したいと思います。

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上は1973年に購入した息子Andre の作で刻印は[ANDRE VIGNERON A PARIS]となんとか読み取ることができます。(購入当時ははっきりしていました)

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こちらは1963年に購入した父親Jeseph Arthurの作品で残念ながら刻印はほとんど消えていますが、微かに残っています。購入当時は[A.Vigneron]と読めましたが、今は[A Vigne ]までがやっとです。

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2018年1月27日 (土)

宇連川で遊ぶ

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歴史的な寒波が来ているというのに、アマティにはそんなことはお構いなし!...
この岩場は四つ足でも大変なところだが、下に渓流が流れていることを知っているアマティはおもちゃを持って行かざるを得ないようだ!...
(わたしたちにとっては)幸いなことに広い岩の板敷で遠浅の河川なので泳ぎ出しはしなかったが、枝をくわえて川の中を走り回るのがゴク楽しいらしい!

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2017年12月31日 (日)

故障続きの2017 弾き納め

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いま、今年の弾き納めを気持ちよく終えました。
それにしても今年は故障続きで60年間で最もチェロを弾かない年でした。
若い頃の無理がたたったのか、あるいはそういう体質なのか、もしかしたら不摂生のなせる仕業か、たんなる加齢か……
病名は頸椎すべり症とか脊柱管狭窄症とか形成異常とか骨の先にトゲができたとか……整形外科系の病気に悩まされました。
それも全て身体の左側に現れ、左腕の付け根、左手の親指、左手の人差し指、左足の親指などに痺れや痛みが走ります。
幸いなことにチェロを弾いているときに症状が出ることはないのですが、清々しない1年でした。

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そんなとき、この滑り止め付き指出し手袋はずいぶん助かりました。わたしの症状は冷やさないのが1番なので、夏でもこれを使っていました。
指先がでているのでチェロを弾くこともできるし(ウォーミングアップが終わったら取るけど)、滑り止めが付いているからクルマの運転も全く問題ないし、犬の散歩も犬のウンチ取りも全く問題ない大変便利な必需品です。
あっ、スマホも打てるし滑り止めが付いているから落としたこともないよ。

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2017年12月26日 (火)

貴婦人アールグレイ

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「貴婦人アールグレイ」というケーキを頂いた。紅茶のケーキだと言うことはすぐに察しが付いたが、このパッケージに見入ってしまった。箱の1部に右側に拡大したようなバイオリンと弓の絵があって何やら訳がわからない数字が書き込んである。資料を探し続けているのだが、今のところなんなのかサッパリ判らない。

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紅茶のバウンドケーキ、1切れ口に入れて驚きましたねぇ!

おいしい! かおりがいい! とまらない!
もうヴァイオリンと弓の図などどうでもよくなりました。これは超おいしいケーキです!

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2017年8月 8日 (火)

長期休暇のツケ

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1ヶ月間、弦を緩めて放置されたチェロ。
帰った翌日、調弦を戻して基本練習から始めました。
右手のボーイングの練習はかなり後退しているのがわかります。でも、久しぶりに弾くと力が入るのがとても良く判るので、年に1階はこんな機会もいいのかなと思います。
しかし、左手は違いました。指の先も親指も弦を押さえるべき所が硬くなっていたのに全て萎えてしまい、痛くてしっかり押さえることができません。
う〜ん、これは困った!当分スケールもハイポジションではお休みです。
そうこうしているうちにすでに10日も経ったらチェロはすっかり機嫌を取り戻しきれいな声で歌い出しましたが、わたしの身体はまだまだリハビリが必要です。

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2017年6月27日 (火)

親子対面

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この弓は上が[Andre Vigneron]の刻印があり、下の弓は[A.Vigneron]の刻印が付いていた。(今は刻印がすり切れて解読不能)
[Andre Vigneron]は1973年に購入したもので、[A.Vigneron]は1963年に購入した。
この2人の Vigneron氏は同一人物ではなく、Andre(1881-1924)はJoseph Arthur Vigneron(1851-1905)が30才の時に生まれた息子で、親子で弓作りの職人(時には共同作業)だった。
この2本の弓を引き比べると、下のA.Vigneronの方が明らかに優れていることからもA.Vigneronはお父さんのJoseph Arthur Vigneronに間違いあるまい。
とにもかくにもこの2人の名弓が久しぶりに出会った。親子の対面である。
おそらくこんなことは彼らも想定していなかっただろうから、あの世で喜んでいることだろう。

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セロ弾きのゴーシュ

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ステキな譜面台を預かっているので写真を撮っていたらなぜかアマティが「ボクも撮って」と譜面台の前にチャッカリ座った。
この譜面台は元わたしのお弟子さんが特注して作って貰ったもので、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」がモチーフとなっている。
三毛猫、カッコウ(ちょっとフクロウみたいだけど)、小タヌキ、ネズミの親子がいます。

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【追加】ご指摘があり訂正します。 フクロウみたいなカッコーはミミズクとして登場していました。それから右上の飛んでいる鳥がカッコーのようです。 もう一度「セロ弾きのゴーシュ」を読み直してみたら兎が描かれていないかな?…

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2017年6月26日 (月)

マイ チェロ HISTORY

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わたしのチェロはMartin Stoβ of Vienna (1778-1838) ということしかわかっていません。
普通、制作者名、製作年、製作場所はf字孔を覗くと裏板に貼られたラベルに書かれているものなのですが、この楽器は残念ながらラベルは張られているものの経年変化でインクが消えて解読は全く不可能です。  (写真上)
普通、この時代ではラベルは印刷されているのでインクが消えることはないはずだと考えられますが、手書きで書かれたのはStossが印刷ラベルを作れないほど貧乏だったか、まだ無名の時期で印刷ラベルを作る必要なかったのか・・・・・・
そんなことからこの楽器はStossの60年の生涯のなかで仮に42才の1820年にウィーンで製作したと仮定して想像をひろげていきたいと思います。
その前に、ラベルが読めないのに本当にStossの作品なのかを検証しなければ生りません。
実はラベルは信用しないというのがオールド楽器の常識なのです。オールド楽器の世界では模造品があふれかえっているのです。わたし自身も「ラベルを欲しかったら楽器の1割を払えば作ります」という話しを何度か聞いているのです。 だから例えこのラベルが解読できたとしてもそれをそのまま信じることはできないのが普通です。
ではなぜわたしはこれがStossだと信じているのか?それはStossの楽器といえば偽造ラベルを貼られて銘器に偽装されることはあっても、Stossの模倣楽器や偽造ラベルを作ったりするに値するほど有名な楽器ではないということです。すなわち何千万円・何億円もする楽器ではないので、わざわざStossの模造品を作る人などいないと考えます。 そんなわけで、この楽器を売ってくれたベルリンの店主(PLIVERTCS氏)がStossだと保証していること、他の本物のStossのチェロととてもよく似ていること等から[Stoss]と断定しています。

わたしはこのチェロを1973年ベルリンで購入し、翌1974年にオーバーホールを鈴木正男氏にお願いしました。その際、表板の内側に1882年(製作後60年後)に大修理をした職人のサインが見つかったのです(写真参照)。

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製作して60年あまりで大修理を行わなければならない事件と言えば思い当たる節があります。 製作当時のヴァイオリンやチェロはバロックヴァイオリン、バロックチェロ全盛の時代でしたがまもなく、モダンヴァイオリン、モダンチェロに移り変わっていく時期でした。宮殿の中で演奏するだけではなく、より大勢の人に聞いてもらえるよう大きな音が出せるようチューンナップする必要に迫られ、ヴァイオリンもチェロも駒を高くして弦の張力を増す必要があったのです。すると当然指板を高くしなければならず、そのためにはネックの角度を急なものに交換しなければなりません。

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ペグ穴も角度が変わってしまったために一旦穴を埋め、新たに穴を開け直して位置を調整した跡が残っています。 また、バロックチェロはエンドピン(足)がなかった時代ですが、この頃からエンドピンを装備することにより奏法がダイナミックで自由になることから、膝で挟む奏法からエンドピンを床に突き立てるようになりました。するとテールピースピンとエンドピンストッパーを共用することになり、穴を開け直している痕跡が残っています。

このようにしてこのチェロはモダンチェロに生まれ変わったのが1882年の大改造だったのです。 ちなみにわたしの学生時代のエンドピンは木製で、差し込んで使う方式でした。先端に金属棒が15cmほど長さを調整できる構造になっていました。チェロケースにはこの取り外したエンドピンを入れるポケットが付いていたものです。

わたしのチェロの胴体は普通より大きめですが、なぜかネックと指板は細身です。そこから想像できることは、この楽器の1820年頃のオーナーがベルリンに住む女性でリペアの際ネックと指板を細くするよう依頼したのではと考えることができます。

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さて、全ての板を剥がしてから再度ニカワで組み立てていくのですが、一旦古いニカワを剥がすと写真のようにすごい状態になってしまいます。 いくらニカワが古くなったと言っても定評ある接着剤です。(ニカワの効果は50年とも100年ともいわれているが楽器の場合100年が限度らしい。また日本の気候ではニカワを濃くする必要があるとも聞く) このニカワを全部剥がしてカンナで削って、再び組み立てる作業をするので、オーバーホールをする度にボディーの厚さが薄くなる事になります。 わたしのチェロは2度も胴体を開けているので当初よりは薄くなっているはずなのに重量が重い。計ってみたらエンドピンを抜いた状態で3kg以上あります。
1974年に2回目のオーバーホールした際「板が厚いので少し削って薄くします」と言われたが「あまり削らないでください」と言ってしまった。いま思うともう少し削ってもらった方がよかったかも知れないと後悔しているほど重いです。(当然重厚な音色はでますが鳴らすのが大変)
新作チェロが一般的にどれも軽めで(板が薄めで)音を出すのがとてもたやすいことから、音色を犠牲にして音の出しやすさを優先していると思われる今どきのチェロを見るに付け、その中庸がいいなと思ってしまいます。

まぁ、こんな様に自分のチェロからいろんな事が想像できるのですが、考えてみればStossがウィーンに住んでいた時代、かのベートーヴェンもウィーンにいたことになります。もしかしたらベートーヴェンはこの楽器を見たり弾いたりした可能性もありますし、この楽器の当時のオーナーのためにあのチェロソナタを書いたかも知れません。 そんなことを想像しながら大事に付き合って行きたいと思っています。

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