健康

2024年11月22日 (金)

笹山ハイキング

朝のお散歩は富士山くっきりの快晴。こんな日はウチの中でくすぶっていたりフィットネスで汗を流している場合では無い。
ということで思案を巡らすと「そうだ、笹山に行こう」あそこなら真っ白な富士山と大好きな白銀に輝く赤石山脈を拝むことができる。
ということで、朝食を取ってから支度を始める。静岡に住んでいると当日の朝、目的地を決めてから行動を起こし明るいうちに帰ってこれる地の利を最大限生かしている。
山伏岳-三ッ峯の稜線から山伏岳方面にクルマを進める。
以前と違って今ではすっかり舗装された林道だが、落ち葉の敷き詰められたステキな林道。
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林道は紅葉が終わり葉が落ちていたが、道より下の唐松林はみごとに紅葉し井川湖に注いでいた。Dsc07487
ここは休憩所で本来ならここから富士山がきれいに見える場所なのだがあれれ、雲がわいている・・・ Dsc08045

ここが笹山の山頂。本来ならアマティの後に大きな富士山が見えるハズ、さらに雄大な赤石山脈も横たわっているハズ、あぁ、どちらも雲がかかってしまった・・・
こういうこともあるさ、と慰めたが、どうもことしは「こういうこと」が多すぎる。富士山2合目辺りの紅葉だって大札山の紅葉だって大谷崩れの紅葉だって再アタックしてももっともいい時期に会えなかった・・・Dsc07494_20241123091601

さて、降りはアマティと遊びながら駆け下りよう
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これだけ遊べばわたしもアマティも満足。
アマティ、今年の夏は越すのがアブナイかな?と心配もしたが、寒くなってからは元気元気。親の心配をよそに跳ね回っていた。

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2024年8月31日 (土)

オドロキの犬サプリ

次の写真はわが家の狭くて急で暗い階段。途中に踊り場があり直角に曲がっているのだが写真には写っていない。
ハードケースに入ったチェロを2階に持って上がるのはかなり大変で、10歳の時からこの階段を使っていたわたしでも目をつぶっては登れない。
ましてや93歳を越すアマティにとっては地獄の階段であろう。
アマティが元気なときにはこの階段を3段跳びで駆け上り数段飛びで落ちるように駆け下っていた。自分の好きな人が来ると察すると玄関を開ける前から階段を落ちるように飛び越え入ってくるのを待っている子だった。
しかし、今年の夏はかなり様子が違っていた。登りも降りも足を踏み外したりつまずいたりバランスを壊してコケそうになったりで「やいやい、アマティのために生活の拠点を全て階下に降ろさなくてはダメかな?・・・」と真剣に考えざるを得ない状態となった。写真を見ると確かに一歩踏み外せばそのまま落下して骨を折るだろう、少なくともわたしだったらやるな!...
そんなわが家の階段であるがあるサプリメントを飲み始めてほぼ1ヶ月、写真のように(本日撮影)足を踏み外すことも無くつまずくことも無く階段を上がり降りできるようになった。毎朝散歩から帰ると新聞を2階のカーサンに咥えて持っていく習慣も蘇った。なんということだ・・・
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アマティの同胞犬は5頭ですでにビスコ、サラ、カールがお星さまになってしまった。サラの余ったご飯を貰ったがカールの時はご飯だけで無くフィラリアの薬1年分の他、足腰が強くなると言うサプリメント1ヶ月分を頂いた。
元来わたしはサプリは一切信じない方だが宣伝にだまされ契約してしまったが2年続けても何ら変化は現れないので解約したばかり。
そんな時のアプリでしたが、せっかくカールが使ったものですからアマティにも与えてみました。するとどうでしょう、見る見る間に階段上りがじょうずになり目を見張ったものでした。階段に限らずバランスがよくなったのもオドロキです。
頂いたのは使い切ってしまったので追加を注文しました。
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なお、この犬用のサプリがあまりにも評判がいいので、同社からリプリノールというヒト用サプリが発売されたそうです。人用から犬用に転用する話は聞いたことがあるけど、こんな話は初めてです。アマティにはいくら効果があってもボクは飲む気は起きないけどね・・・
ところで、こんな褒め言葉の内容は決して宣伝費等を貰っているわけではありません。
なお、ブログを書くに当たって唯一気にしているのは、アマティは確かに足腰がしっかりしてきました。しかしこれが、サプリのせいなのかあるいはあの酷暑をくぐり抜けてきて1番体力が無くなった頃のアマティとやや涼しくなった今とを比較しての変化なのかは今のわたしの知る所では無いことを付け加えておきます。

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2024年8月27日 (火)

外科、形成外科、皮膚科

歳を重ねると外科、形成外科、皮膚科に通うことが多くなる。
そんな時この三つの診療してくれるクリニックがあった。
まずは写真①の胸のしこりが気になっていた。脂肪の塊なのか10年ほど前は小さい膨らみだったがこんなに大きくなってしまった。医者からは「悪性では無いが(検査したわけでは無い)手術で取った方がよいので後日病院を紹介する」といわれたので「そんなに大きな手術なのですか」と聞いたが「いや、そんなことはない、日帰りできる」。あまりよくわからなかったがこの暑いのに手術して風呂に入れないのもイヤなのでまた後日。
同じ写真①で左目の下に何か付いていたが最近急に大きくなったので相談したが「ジャマなら取りましょう」と言うことで冷凍切除してくれたので黒くなっている。
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写真②は左薬指の爪が剥がれてしまったので相談するつもりだったのだが、わたしの足を見るなり「登山をしていますか」と言われて驚いた。足を見て患者の趣味がわかるとは・・・
たしかにわたしの足は昔の日本人の典型というか農耕民族の典型というか偏平足、幅広、甲高、外反母趾、巻き爪を持つなんとも情けない足型。
おかげで靴選びにはずいぶん苦労してきた。特に革靴はかっこいい靴は全て足を合わせるしか無かった。
現在は日本人の足に適した靴をイタリアで作っているので大変助かり、何十年も愛用しているのだが(1年に1足)なぜか今品切れが続いているので心配している。
話はそれたがこの剥がれかかった爪が爪水虫(白癬菌)の可能性を心配し検査してくれたがカビは見つからなかった。
徐々に加齢による症状(白内障もそうだが)が増えてきた。

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2024年8月12日 (月)

傘寿

今年の盆休みの息子・娘達の帰静はわたしたちの傘寿を祝う催しだった(アマティは卒寿の祝い)。
おりしもジイは肋骨の骨折の痛みが取れずさらに腰痛もよくない、バアは昨日家の中で転んでたぶん圧迫骨折だと思うが痛みに耐えていた。幸いムスメが今日の場を取り仕切ってくれたので痛みも忘れて楽しく過ごすことができた。
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2024年7月23日 (火)

一難去ってまた一難そしてまたまた一難

5/15にギックリ腰をやってしまいこれが長引き2ヶ月経つ今でも全治とはいかない。そこにきて白内障・緑内障の手術5/30・6/20が重なりその結果世の中が一変するような体験および視力の回復(裸眼で楽譜がよく見える、サングラスが使える)したのだが、その後なぜか涙があふるる現象が起き泣きっぱなしの状態。両眼の手術が終わって1ヶ月経つのにいまだ泣いている。
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ギックリ腰が完治しないまま7/15青木ヶ原の樹海を通りがかったので涼を求め溶岩樹形の塊を散策
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アマティの姿を撮ろうと撮影ポイントを探していた所わたしの左足を落ちていた枝に引っかけ溶岩の上にもんどり打った(この表現はアリか?)!幸いなことに溶岩の上にはコケが厚く生え窪みには腐葉土が蓄積していたのでカメラは事なきを得たが、叩き付けられたわたしの体はそういうわけにはいかなかった。数十分間息もできなく苦しく悲鳴を上げるくらい痛いのは以前にも経験があるが肋骨の骨折(昔はヒビが入ると言った)そして右腕の擦過傷、顔を強く打ったがコケが幸いして出血無し。
腕の怪我は軽傷だが肘部分が深くこれがなかなかやっかいで血が止まらない。傷が乾いてくっ付いてきたなと思っても腕を伸ばしたり曲げたりする度にパッと開いて出血が始まる。
目の手術でも暑いさなか顔を洗うのに目を濡らさないよう細心の注意を払ったが、この腕の傷も濡らさずして頭を洗うことも体を洗うこともできず1週間経つ今も完治していない。

そんな時究極の災難に襲われた。毎日35度超えの猛暑が続く7/17わたしの部屋のエアコンが壊れた。2週間ほど前からなんとなく調子悪かったのだがついに室外機が止まってしまった。調べたら18年間も使っていたものだからやむを得ないのだが何もこんなに暑い真っ盛りに壊れなくてもいいだろうに!すぐに量販店に行って注文したが工事は1週間先だという。他の部屋のエアコンは無事なので「まぁいいか」と思ったもののこれは想像を絶する辛らさだった。夜窓を開けておいても連日34度を差している。扇風機は生きているので回すと熱い風が来てとてもかけてはいられない。ま、それもなんとかガマンしてたった今設置工事が終わり、この部屋も人並みに過ごせる温度となり久しぶりにPCの電源を入れることができた。

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2024年6月 6日 (木)

フィットネス再開[Step up]

先月の5/11、庭木の手入れを中腰で頑張っていたところ案の定ギックリ腰をやってしまった。整形外科系の病気はわたしは今まで全て自然治癒力と自助努力で知らぬ間に治っていた。知らぬ間というのは1〜2週間とか1〜2ヶ月とか1〜2年で治るものだと信じている。
ギックリ腰もどんなにひどくとも2週間も経てば快治してきたのだが、あれ?今回は違うぞ・・・ すでに3週間以上経つがなかなか全治しない。
白内障・緑内障の手術中でもありフィットネスは控えてきたのだが、いやフィットネスだけではなく山登りもハイキングも、特に今は山野草の最も美しい時季なのに家でジ〜ッと堪えていた。しかし、もう温和しくするのも限界。体に無理がかからない程度にレッドコードでストレッチを再開した。
1枚目の写真は鏡に映った自分の姿。股関節を広げる体操をしている。2枚目は両足を持ち上げゆらゆら左右に揺することで下肢が緩み大変気持ちがいい。
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この後は下半身の圧縮空気マシーンや背骨の牽引マシーンそして究極ウォーターベッドで癒されて久しぶりに大変いい気持ちになって帰宅。

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2024年6月 1日 (土)

再び眼帯

夜寝るときは3日間は眼帯するように言われた。眼帯と言ってもプラスティックのゴーグル半分のようなものを渡された。テープで貼るようにと言われたが術後に装着したものと同じものである。ただ、ガーゼを挟まれテープは×印に貼られスマホもTVも見られないから、ガーゼを省略しテープは視界に入らないように四角に張ったらうん、これなら快適。ベッドでスマホを見ている内に寝込んでしまった。Img_0013

翌朝、起きるなりこの眼帯を外した。周りがよく見える。昨日の感動を再び味わう。
昼頃クルマで買い物に出たが物陰も信号もよく見える。これだけ視力が回復すれば申し分ないと言いたい所だが、控えている左目の手術を終えればさらにいい気分だろう。早く新緑の美しい景色を両眼にあじわわせてあげたいものだ!...
ところで、今日は晴天とあって世の中がマブシイ。術前は白内障や緑内障でマブシイと思っていたのだが、どうやらマブシイのは別の原因なのかもしれない。[サングラスを手放せない腰の曲がったオジイサン]とはかっこ悪いなぁ〜

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2024年5月31日 (金)

眼帯が取れて

昨日白内障と緑内障の手術をし今日は8時半指定で病院に行き眼帯を外した。まさに「世の中が明るく見える」とはこのことだと思ったが、こうして眼帯を獲ってみると右目と左目では暖色蛍光灯と自然色蛍光灯ほどの色の違いがあった。視力は右目の手術前は0.5でクルマの免許は取れない数値だったが術後はなんと1.2に回復していた。その違いは、「間違って妻の顔を見てしまったことを後悔するほどだった」と言えば納得できよう。
ま、それは冗談としてほぼ一日片目の生活は距離感が掴めず大変不便だった。スイッチに手を伸ばしても届かなかったり箸でおかずを取ろうともうまく掴めなかったりスマホやPCのキーボードを打ち損じたり、これでは自転車やクルマの運転はできないわけだ。
やっと眼帯が取れたことで雨のマートへもクルマで行きどっさり買い物してくることができてよかった。
運転は即日解除、入浴は解禁だが顔洗い洗髪は3日間禁止。寝るとき3日間はゴーグル眼帯等々、覚えきれない。
先生には大感謝をし、左目も急いで手術をお願いしたが、3週間ほど先になってしまった。
ハイキングやフィットネスの開始時期を伺った所あっけなく「一ヶ月ですね」と言われやれやれ、今年の野生蘭の時期も失ってしまった。しょうがない、今年はおとなしく過ごすしかないな・・・
そうだ、楽譜はどうだろう? とさっそくトーベル・CASALS版BACHを弾いてみました。[見える]裸眼でしっかり見えます。現在手術した右目はメガネは全く必要なし。左目は殆どぼやけて見えません。それでも両眼でこの微細な楽譜を見ることができました。「よかった〜、目が蘇った」、しかし、目が疲れるので1時間ほどで止めた。
久しぶりに20年前の視力を回復したのでビデオを見たりスマホを見たりブログを書いたりチェロを弾いたりわたしの目は大活躍してくれた。ゆっくり休ませなくっては・・・
わたしの水晶体に代わるレンズは裸眼で1m〜10mにピントが合うとの説明を受けたがチェロの譜面台までは90cmだが、これで左目の手術がおわればメガネは必要なくなりそう。
まずはやれやれしたうれしい一日だった。
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2024年5月30日 (木)

白内障・緑内障 手術

モウダメだと思ったのは正月だった。ちょうど4ヶ月おきの眼科の診察日だったのでその旨訴えたが「まだ手術をするほどではない」とのこと。そんなもんかと仕方なくハンドルにしがみついて運転し、譜面台に覆い被さるようにチェロを弾いていたが、さすがにもうここまでだと悟り、4月になって再度眼科の門をたたく。「眼圧も上がっているので県総に紹介状を書くので1ヶ月後に来て下さい」と言われ「えっ、1ヶ月ですか」といったら「あなたは30年も見ているので紹介状の内容を整理しつつ書くので時間が必要です」とのことでこの1ヶ月の長かったこと・・・
クルマの運転はほんとコワゴワ。楽譜はもうぼやけちゃって殆ど読めない。それでも当初は左目はまともだったのでなんとかなったが、その左目も日に日に視力を失い「あぁ、オレは盲目になるかもしれない」と思った頃1ヶ月が経ち分厚い紹介状を持たされさらに[黄斑変性]の病名も+された。
そんなこともあってやっと本日の手術に漕ぎつけた。いままで友人知人から「目を開けてるから注射針が見えるんだよ」とか散々驚かされ術後は「世の中がパッと開ける」とか「汚いものまで目に付くようになる」とかなにかと聞かされたが、手術椅子に座ると濃い目薬を差されたかなにも見えず全く痛くなく「これで白内障の手術は終わりました」、「これから緑内障の手術に入ります」ということで手際よく進み、うっすら時計を見た所白内障に20分緑内障に10分で全て終わって手術室を車椅子で後にした。車椅子に座るとなんか重病人になった感じ。
どうやらグリス状の目薬を差され透明の片目ゴーグルを絆創膏で止めたような状態。これが明日の朝の診察まで続くようだ。
明日眼帯が取れるのが怖くもある・・・
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2024年5月26日 (日)

白内障・緑内障・黄斑変性

視力はよかったんです、裸眼で1.5、時には2.0で50代まで、その後1.2をキープしていたけど老眼はその頃から始まってました。またその頃から偶然眼科で緑内障が見つかり早期治療が始まっています。40代に乗鞍岳スキー登山でパンダ顔を避けるためにサングラスを使わなかったのがたたって雪目になり三日三晩雨戸を閉め切って(ちょっと光が入ると激痛が走る)籠もっていたことがあります。これが緑内障の原因となったかもしれません。しかし、緑内障は自覚症状が全くないので目薬で眼圧を調整していればよいのですが、いつしか知らぬ間に白内障が急速に進んでいました。
2年ほど前にサングラスが曇るのが気になり出したのですが、それはサングラスが曇ったのではなく水晶体が曇っていたのです。そしてその頃から視力が落ち楽譜が見えなくなり眼鏡を作り直しても対応出来ないのです。そうしているウチに右目だけが曇っていることに気づき医者に相談したら「白内障だがまだ手術するほどではない」と言われてしまった。しかしそのうちクルマの運転中赤信号は見えるが輝度の低い青い矢印が見えなくなったり明暗差のある所での陰部分が見えなくなり運転に自信がなくなってくる。医者が想像するよりも早く白内障が進んでしまい限界を感じて再度眼科医に「楽譜が見えない、なんとかしてくれ」と行く。
眼圧も上がっているようで「白内障と緑内障の手術を県総合病院に依頼します」ということになり来週手術することになった。黄斑変性は「まだ治療するほどではない」とのこと。
さて、目の手術は正直コワイ。ドキドキして血圧が上がりそうにコワイ。でも、今時殆どの人たちが白内障の手術をしているようだし、80年もよく持ったもんだと誉めてあげなければならないことのようだ。緑内障も簡単な手術だと医者は言うけど・・・
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問題はこれだけではなかった。2週間前にギックリ腰をやりそれがまだ続いているのだ。いままではただの腰痛、座骨神経痛だけだったのに慢性ギックリ腰になりもはやなにもできない状態になっている。若い頃、無理をしすぎたんだろうな・・・

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