健康

2023年9月 8日 (金)

ついに補聴器(?)

わたしの右耳は在職していた頃から難聴気味で困っていた。話しかけられたり呼ばれたりしても方向がわからない。クルマの運転中も救急車が迫ってきても前から来ているのか後ろから来ているのか、右からか左からか・・・
電話の話し中のツーツーという信号音、あの音が右耳と左耳でピッチが違うんですよ。あれにはわたしも驚いた。きっと右耳の高い周波数と低い周波数が聞こえにくくなり音程が違うように聞こえたんでしょうね!
わたしが退職して暫くして父があの頃では最新のデジタル式補聴器を作ったばかりで他界しました。わたしはそれを自分の耳用に再調整して貰って使ってみました。しかしなんだあれは?当時のわたしには全く用をなさなかったですね。もっとも腹が立ったのは極小電池の交換ができない。小さすぎて見えないんですよ・・・
そんなことがあって十数年、聞こえなくて困りながらも補聴器のことは頭からはすっかり離れていた。そんな時同じデイサービスに通っているおばあさんから「これは使いやすいよ〜、値段も安いし、補聴器なんか問題じゃない」と教えられ早速取り寄せてみた(娘さんがネットで探してくれたそうだ)。それは補聴器ではなく集音器というもので補聴器の1/100の値段で買える代物。充電式だから電池の交換は無し。使うのには音量調整の慣れが必要だが、問題なく聞こえる方の耳と微かにかぶる程度、別の言い方をするとシャーと雑音が出る直前に調整すること。慣れに若干の時間がかかるが、これで人との話が聞き取りやすくなり聞き返しの回数も激減。TVの音量も大きくしなくて済む。また、音の方向がはっきりしていて大変助かる。というわけで今日は集音器のご案内。
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2023年9月 7日 (木)

もはやこれまでか・・・

左手親指の第3関節を痛めて何年になるだろうか!?
わたしはこれまで身体のいろいろな故障を乗り越えて80目前まで生きてきた。あるときは右手のシビレにもだえながら、あるときは山歩き中に足の痛みにうずくまり、あるときはめまいで何かに掴まらなくては立っていられなくなるのを繰り返し、あるときは堅い雪の上にたたき付けられ息ができないほどの堪えられない痛みに悲鳴を上げ、「あぁ、オレの人生もここまでかな」と何度も思ったほどだった。
しかし、これらの苦難をわたしは知らないうちに奇跡的に乗り超え、なんとか自分の身体を脳の指示通り動かすことができてきたことは大変ラッキーなことだった。
しかし、この左手親指の痛みだけはすでに数年経ち、整体やスポーツ整体、医薬品、サポーター、固定具などいろいろな療法を試してみてもいまだ奇跡は起きていない。
原因ははっきりしていてチェロの無理な練習にある。Bachの無伴奏チェロ組曲の6番のPRELUDEのほんの数十小節を何度も繰り返し練習したのがいけなかった!...
以前はなんの問題もなく弾けていたのにいつのまにか弾けなくなっていた。「歳を取ったのだから仕方ない」と思いながらさらに練習を重ねるとイタミが出てきた。こんなことはたまにあることで休み休み続けたのだがそのうち弾きながら急に痛みが走るようになった。
しかし、老い先短い中、こんなステキな曲が弾けるならたとえボクの指が壊れ様がそれはそれですばらしいことではないか?と思うようになり痛くてもさらに弾き込むようになった。しかし、やはり限界はじきに来てしまったかな・・・
まったく弾けなくなってしまった訳ではありません。少しは引けるんですが時々痛みが走ったり、その後で痛くなったりします。Img_2026_20230907135901

これはわたしの手のレントゲン写真です。実はわたしは頸椎・胸椎・腰椎の各関節が変形し関節の隙間も狭くなり、痺れや痛みや肩こりはかなり以前から起きているから結構慣れっこになっている。だから今回も「あ、またか」程度の認識だった。
1つ目の写真は左手全体、2枚目の写真は左右の親指だけのレントゲン写真。第三関節を見比べると左の方が隙間がないことがわかる。ほんらいここにコンドロイチン等が詰まっている所で、このように骨と骨が擦れ合う場所ではない。
医者に言わせると「手術で痛みを取ることはできます、ただ元通り動くかどうかは保証できません」とのことなので「今さら手術してもな〜」と思うこの頃。
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「BACHを弾いて手が壊れるならそれはそれで本望である」と思ってこれでもかと弾き込んだのは事実である。その結果さらに故障を早めたのも事実である。
さいわい、まだ弾けるバッハの曲もあるし、チェロ以外にも楽しみのカードはまだ何枚も持っている。
わたしは嘆いているのでもなく同情を誘っているわけでもない。80歳の青春のある出来事を記しておきたいだけの話である。

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2023年4月30日 (日)

わたしが[要支援2]になったのは・・・

わたしはこの3月末から[要支援2]として支援を受けながらの生活をしている。どこからの支援かははっきりしないがおそらく介護保険から手を差し伸べて頂いているのではなかろうか。
実際にはデイサービスを受けている。デイサービスには多くの内容があるようだが、たとえばお昼を食べさせてくれたりお風呂に入れてくれたり。わたしは機械を使うフィットネスを週2回(半日)選んだ。それというのも、お天気がよく暇が出来れば畑に出向いた農作業も訳あって終了し、手持ち無沙汰になってしまったところでの話だったのでヒョイと乗り込んでしまった。要支援者とはおよそわたしに似つかわしくない言葉でわたしも周りの人も耳を疑う内容だ。
1月だったか妻の要支援1の更新に包括支援センターを訪れたときだった。わたしが座骨神経痛でビッコを引いていたときに支援員さんから「ちょっと待って、旦那さんの方が問題ですよ」と声をかけられ、それからは質問攻めでチェックがはじまり「これなら支援が受けられますから手続きします」と言うことになり「バカ言え~、オレ様が他人の支援など受けるもんかぁ」と叫びたかったものの、もう一人の悪魔が「オイ、介護保険を払ってんだから利用しろよ!」と叫ぶではないか。
グズグズしていると支援員さんからいろいろな利点を説明され「はい、それなら一応申請します」とはいったものの、実際に通るとは思ってもいなかった。
その後、ケアーマネージャーと包括センターの支援員さんが自宅に見えて又同じような説明をした。一般にはこういう時はできるだけ悪く言うものだと言う話は聞いていたが、わたしは特に不自由な生活はしていないと思うので正直にお答えした。さらに数週間後静岡市から判定する方とケアマネージャーが自宅に来てまたまた同じような説明をしてきた。わたしは正直に「立ち上がりにフラフラする」とか「左足が痛くて杖が必要なときがある(当時はかなり痛かった)」とか話した後、そういえばこういうことがあった。

その数ヶ月前である。わたしは自分の中に異変を感じていた。わたしはフィッシングに会うとは思いもしなかったがなんとIDを乗っ取られてしまい(詐欺には遭わずに済んだが)後処理がそれはそれは大変な思いをし、なんと今でも引きずっている(先日Air Tagの動作がおかしいのでよくよく調べたらフィッシングに起因していた)。
そんなこともあって「ついにわたしの頭はイカれたか」と言うことになり[静岡県立こころの医療センター]を訪れ設問や脳のレントゲンを撮られ「あなたはまったく正常です」と言われた。しかし、そうは言われても「この激しい物忘れはどう説明するんだ」日常生活に支障をきたす物忘れはどうしたらいいんだ・・・と嘆かざるを得ない。まぁ、妻もろとも認知症が進んで会話にならないことも日に何度も起こる現状は査定員にはしっかり訴えた。
また、冗談交じりで「お風呂で寝てしまう」と言ったら査定員の顔色が変わって急にヤバイ雰囲気となる。帰り際「妻の要支援の件もあるので、あなたも取れるかもしれません」と言われて帰って行った。風呂に入りながらいい気持ちで寝てしまうのはオーバーな表現ではなく本当である。時々口もそうだが鼻や耳に湯が入り目が覚めるなんとも穏やかな優雅な時間である。もしかしたらこのまま死んでもいいかなと思うほど気持ちのいい時間である。
さて、その後は2人に妻がきつく言われていたので、長風呂になると2階から妻が不承不承降りてきて「寝てない~」と声をかけられる。わたしはいい気持ちでいるのを無理矢理たたき起こされるのはつらいから文句の一つも言いたくなるが、そこはグッと堪えねばならなかろう。

まぁ、と言うことでわたしは無事というかオドロキをもって[要支援2]が獲得できた。といってもお小遣いをくれる訳でもなく多分,デイサービスを受ける権利位だろう。しかしデイサービスもそのまま負担してくれるわけではなく、会員月額の何パーセントかで、それは健康保険証の何割負担かに準じる。わたしのフィットネスの場合、わたしは2割負担なので月8000円払うと2回受けることが出来るというシステムだが出費はバカにならない。
人見知りするわたしでも機械相手なら大丈夫だろうと思ってここに決めて2ヶ月近く経つ。

さて、わたしの座骨神経痛だが昨年の秋頃から始まった。その当時は神経痛とは本当の年寄りで昔よくおばあさんが口にいしていた言葉で、まさか我が身に降りかかってくるとは思わなかった。だから最初は股関節の異常だと思ってサポーターしたりテーピングしたりお灸をしたり杖を突いたりしていたがそのうち膝にも痛みが現れる。とうとう人工関節しかないかと思って整形外科に行くと「股関節は全く問題ありません。神経痛、座骨神経痛です」と言って薬を処方される。しかし、薬など全く効かず痛さで夜寝れない日があったり、アマティのお散歩に杖を持って出たりしながらも、「今ジーッとしていたら一生動け無くなってしまう」と焦って軽登山をしたものだ。

股関節から膝までが痛いので(左側)チェロはまったく問題なく弾けるのだが、以前から痛めていた左手親指第三関節の使いすぎによる骨同士の擦れ合いは何をしても改善の余地がなく、いささか腐りきっているのが現状だが、これは要支援とは全く関係ない。

写真はバランスが悪くなったので段差は杖無しでは歩けないが平地ではなんとか歩いて行ける。
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フィットネスの機械の一部。これをこなした後は手技によるマッサージやウォーターベットや腰のマッサージ器等など順番にやってくれる。
ホワイトボードに何やら文字を書いた用紙が貼ってあるが拡大すると[尿道引き締めトレーニング]と書いてあるなどいかにもシルバーっぽいがそれ以外は意識することはない。若いお姉さん支援員たちの黄色いかけ声が心地よく聞こえる。Img_1421
ここまで日記を書いてきて「少し暗いな」との印象を持たれるかもしれないが,もし現在要支援の要請をしたら当然跳ねられるだろうなと言う位元気に振る舞っている。いや、必ずや全て克服できると思って頑張っている。

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2023年4月 8日 (土)

思親山へ

数日雨空だったが今朝7時に起きたら日が差している。こういう時、今までなら「さてどこに行こう」と行き先を考えるのだが、今朝はどうしたことか1〜2年ぶりに「さてどこに行こう」と言うことになり、自分でもビックリしながら「そうだ、思親山だ!」と思いついた。
カタクリやカイコバイモを見たいこともあるが、思親山と言えばなんといってもフジザクラと富士山の共演。この時期毎年思親山に登っているがなかなか見事な共演には出会えなかったのだ。
急いで食事を済ませコンビニおにぎりを買い中部横断道路に入る頃から雲がわき、佐野峠に着くころには富士山はすっかり雲の中。「残念、共演は絶望的だな」とは思ったものの、カタクリやコバイモにも会いたいから迷わず歩き出す。すでに10時近いというのにカタクリもコバイモもまだ寝ているようで開いていない。それにもめげずツラい階段を登り山頂に着いたとき、富士山は雲の中だったがフジザクラは例年にない勢いで美しく咲いていた。こんなにステキなフジザクラは初めての景色である。
そのうち曇り空であるものの富士山が頭を出し徐々に全景を現した。これで青空だったらもう言うことはないのだが仕方ない、青空でフジザクラが満開で富士山の全景が拝める日が残されたわたしの生涯でもう一度見られる日を念じて山頂を後にした。おそらくそれほど難しいことなのだ。
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フジザクラとヤマザクラの共演に新緑が加わり,まさに「春全開」といった景色。 Dsc04456
カイコバイモはもう少し開いて欲しかったな!...
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カタクリはやっと山頂で開いているカタクリに会えた。帰り道、登ってくるとき寝ぼけていたカタクリも、下りに見ると何本かは目覚めてしっかり反り返っていた。
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ずっと体調が悪いアマティだったが、きょうは絶好調に見える。
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わたしの足はまぁ一日持ったもののやはりまだ全快とは言えない。痛いけど痛いからと言ってジーッとしていたのではボクの生き方ではないからなぁ!アマティに習ってもう少し元気に山を歩こう。

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2023年2月22日 (水)

キンメダイ

スーパー福一丸を覗いたら高級魚キンメダイのお頭があるではないか。キンメダイの身は静岡でも食べることは出来るが
お頭は高級料理店でないと食べられない代物。迷わず購入。
夕飯が楽しみだ〜
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夕方食卓に着いたらあれれれ〜、[焼き魚に キンメダイ]と書いてあったのに[煮魚になってる〜]妻は煮魚が得意料理なのでつい煮てしまったのだろう。
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煮方も味付けもとてもいいのだが、果たして焼いたらどんな味なんだろう?わたしはキンメダイは煮るか生かしか食べたことがないので大変気になっている。さて、お頭は2匹あるものの、付いている身はごく僅かで、なかなかキンメを食べたという気がしなかった(妻はこういうグロ系は一切食べないのでわたし1人で骨までしゃぶって食べた)。

福一の焼き芋は大変おいしい(栃木の紅はるかの時期は)ので1番大きいのを買って帰った。
これにはお留守番をしていたアマちゃんも大喜び。
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2022年12月 7日 (水)

あの眩暈はなんだったのか?

ほぼ1年半ほど前から時々めまいが起き「へんだな」と思いつつそのうち治るだろうと思っていた。しかし次第にめまいが起きる間隔が狭まっているようだった。めまいといえば貧血しか思い当たらないので医者には採算血液の値を尋ねるのだが「正常」との答えしか返ってこない。
脳の検査も視野に、自分に起きる目眩を冷静に分析してみると、①頭や世の中がグルグル回る目眩ではなく血液が全部頭に登ってしまうような,頭が沸騰してしまうような気を失いそうになるような症状、アウトドア派のわたしには危険な状態。
②めまいが起きるのは体に負荷がかかっているときであって、主に登山中が多い。体が温まりハアハアしてくるとすぐに起こる。こうなると歩くのは不可能でしゃがんで収まるのを待つしか無い。そんなことが頻繁に起こるが、呼吸を深くして酸素を多く取り入れるしか手立てがない。そのうち犬の散歩で少し早足で歩いても起きるようになった。
主治医である内科医に相談しても返答はナシ。近所の耳鼻科に行って検査をして貰ったが「問題ない」とのこと。
仕方なく処方薬を勝手に順番に停止し薬害の可能性をチェックする。それぞれ数週間ずつ停止するも結果は同じ。最後に一番怪しい前立腺肥大でかかっている泌尿器科の先生に聞くと「薬ではないでしょう、いい耳鼻科の先生が田町にいるからそこに行ってみなさい」と言われさっそく翌日診断を受け下記の薬を処方された。この薬を飲み出した次の日からなんとめまいが消滅したのだ。その後は登山をしても百姓してもどんなに体に負荷がかかっても全く問題ない。薬は1週間分あったが,それを飲み終わってからはまったく正常。
先生からいったいなんだったのか、なんの病気だったのかを聞く間もなく治ってしまった。これがわたしを助けた薬である。
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2022年10月26日 (水)

小田原極小旅行

8年ぶりに新幹線に乗り小田原トンボ帰りをしてきた。なんか新幹線の形が変わり,乗り心地もよくなり、しかしあの新幹線に乗ると独特な匂いを懐かしみ、あっという間のお出かけだった。
高校生の時、毎週東京に通った習性が残っており,行きは進行方向左の席に座って富士山を楽しみ、帰りも左の席に座って海の景色を楽しんでいた。
ところで今日の富士山、見頃な冠雪と真っ青な空と富士川から山頂までの全景の3拍子揃った姿は半年ぶりだ!Img_2363 Img_2360
小田原駅に着いたのが10時42分。12時に待ち合わせなのでお昼を先に食べる。目当ての話題の海鮮茶房魚國を見つけたらなんと11時開店なのに10組以上がゾロゾロと並んでいる。そうなると余計喰いたくなって順番表に名前を書き込む。
最近、煮魚を食ってないし先日下田に行ったときも金目鯛を喰ってなかったので「金目鯛の煮付け」をお願いした。
出てきたのはお頭付きではなく切り身だったが、食べやすくてよかった。脂がしっかり乗った金目はとてもおいしかった。ゴボウもおいしい・・・
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運がよければ小田原駅のキオスクに鎌倉の「クルミッ子がある」旨の情報を得ていたので覗いてみたらあるある。
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さて、本題はこれからなのだが、実は藝大の数年先輩のヴァイオリ二ストから「小田原にいい先生がいる」と半ば強引にここまで連れてこられ、わたしのいたくてチェロが弾けない左手親指の治療にやってきたのだ。いままで外科や針治療や整体や,ありとあらゆる治療を試みてきたが悪くなる一方だったのだから本当に半信半疑でその先生の元に伺った。
それは今までにない診察・見立てと治療法で,終わった後は痛みが取れている感じがし、すっかり諦めていた親指がもしかしたらもう一度BACHの6番が弾けるかもしれないという希望を持たせるものだった。

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2022年9月19日 (月)

敬老の日

[敬老の日]とはわたしが小学校に入る2年前に制定され(当時は9/15だったが)、以降76年回お年寄りを敬い身内の親戚を祝ってきた。ま、ある種神聖な日として記憶に新しい。
ところが10日ほど前だろうか愛知県に住むマゴ兄弟からこれなるものが送られてきた。「敬老」とも書いてないし「おめでたう」とも書いてないが、ただ一言連名で「長生きしてね」と書いてある。
おいおい、敬老の日のプレゼントかよ!... あぁ、初めてのマゴからのプレゼントがこれかよ、「長生きしてね」がメッセージかよ!... 初めてづくしのため困惑することしきり・・・
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考えてみれば「長生きしてね」のフレーズはわたしも祖父祖母に対して何度も使った記憶がある(父母に言った記憶は無いが)。あの頃のわたしは「長生きすること」がどういうことかもわからずこの言葉を使っていた。今のわたしだったら年配者に対して決して「長生きしなよ」なんて酷なことは言わないだろう。
わたし自身はかなり以前から[太く短く生きたい]と願っていたが、正反対の方も当然いるだろう。しかし、いつまで生きられたら「おめでとう」と祝われるものでもあるまい。
マゴのプレゼントを機会に久しぶりに自分の「生き方」について思ったが、今自分に出来ることは長生きする努力では無く、楽しいことを長く続ける努力なのだろう。
マゴたちよ、プレゼントありがとう!ジィはね、長生きすることなんて望んでいない。ジィはね、人生の楽しみ方をいっぱい知っているんだ。それを1つ1つこなしているウチに寿命を短くしたとしても、それはそれで幸せなんだよ!...
「ジィはいい人生だったね」と言いながら石で釘を打って蓋をして欲しい。

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2022年6月22日 (水)

4回目のコロナワクチンはいらない!...

わたし宛に4回目のコロナワクチン接種券が届いた。年齢も基礎疾患にも該当するから一般よりも早めに届いたのだろう...
しかし、わたしはもう4回目は接種しないつもりだから封を開けてもいない。なぜなら副反応が怖いのだ。
1回目は昨年の6/6で、接種直後からフラフラして帰りのクルマが運転できないほど。2回目は3週間後の6/29で、このときは何の反応も無かった。しかし、1ヶ月後の8月辺りから目眩がして、ちょっと体に負荷を与えると立っていれないほどだから、山登りをしようものならそれを何回か繰り返す有様。
そして目眩が相変わらず治まらない2月、3回目のワクチン接種後1月ほどしてから腰痛がひどくなりどうやらこれは座骨神経痛のようだ。
こうしてわたしはワクチン接種する度に大きな不調を訴えるようになってきた。もちろんどんなデータを探してもこのような後遺症が出るという情報はないから全く無関係かもしれない。しかし、わたしにとっては重大な問題で、もしかしたらわたし固有の後遺症である可能性が0とは言えない。そう思うと、とても4回目の接種は受ける気がしないから、この郵便物は封を開けないことにした。

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2022年5月22日 (日)

アマティの気遣い

左足の股関節と膝を痛めているので、リハビリを兼ねて軽い山を歩きたいと思っています。
膝にはテーピングをし、股関節はスポーツタイツで保護し、さらに2本のストックでバランスを取りながらゆっくりゆっくりアマティとアマティのオカアサンの後を慎重に登っていきます。カアサンは相変わらずの健脚なので、どうしてもわたしとの距離が空いてしまうのですが、そんな時アマティは[ハッ]と我に返って引き返し、わたしの様子を見に来ます。それはそれは愛おしいですよ〜
「トーサンは大丈夫だからカアサンの所に行きなさい」というと駆け上っていきます。でも、暫くするとまた走り降りてわたしの様子を観察に来ます。やはりこの子にとっても家族としての"群れ"は大切なんですね!...
このストックはわたしの自慢の杖です。20年位前に山スキー用に買った[Black Diamond]のポールなんですが、長さが自由に設定できるのは当然として、グリップが30cmもありとっさのどんな地形にも対応出来る優れものです。えぐれた山道や崖のトラバース、ゴツゴツ路などどんな状況にも適応し、頑丈なのでわたしの体重を支えることも出来るのです。その上丸いポールではなく楕円形なのも(写真では解りにくいけど)好奇心を満足させます。さらにこのグリップにはアブソーバーが内蔵されガツンとした衝撃は吸収してくれます。
欠点はやや重いことですが、今のわたしの体調を考えると細くて軽いポールでは心細いのでこれに限ります。
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この山道、新東名高速道路の直ぐ隣にありながらもかなりの大木ウヲッチングが楽しめます。この巨木はヤマモモの木です。
ずっと以前わたしの現職時代、近所にある中学校によく出張に来る度にこの丘に登りヤマモモの実を摘んだり、一面シライトソウやフウランの群生地を訪れたり、大井川鐵道のSLの警笛の音を楽しんだりしたものでした。
次の2枚もヤマモモの巨木の前です。
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