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2024年12月

2024年12月30日 (月)

一元のモヤシラーメン食べ納め

今年最後のモヤシラーメンを食べに行ってきた。
おや?どんぶりが変わったようだ。
一元は味噌ラーメンがウリのお店なのだが、わたしはほぼ50年前からモヤシラーメンを作って貰って食べてきた。
当時はメニューにもなかったのだが今ではしっかりメニューにも載っている逸品。
どんぶりもこの白い大きいので3代目。最初は薄いブルーの広口どんぶり、2代目は濃いブルー、そして3代目は白のかなり広口どんぶり。
時代はどんどん移っていくが味は変わらない・・・
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2024年12月29日 (日)

ブルブル 初氷

今朝のお散歩は寒くて起きるのが大変だった。
いつものようにアマティが行きたい方向に進むと、5月には菖蒲が咲き乱れるショウブ池が凍っていた。
今シーズン初の初氷。寒いわけだ・・・
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2024年12月27日 (金)

白メダル

メダルとか賞状には全く縁のない生涯を送ってきたので今さらながらこそばゆいが叙勲に該当され、拝謁こそ辞退したものの詔書とメダルが本年ギリギリになって宅急便で送られてきた。父が瑞宝小綬章を受章して母と共に嬉しそうに拝謁した話を聞いていたのでおおよその見当は付いていた。タイトルは白メダルと書いたが確かに金ではない。どちらかと言えば白に近い。桐の葉も白である。ブルーの円とルビーばりの赤が格式を訴える。さっそくお祝いに頂いたポインセチアにかけてあげた。
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ちょっとわかりづらいので拡大してある
真ん中の鏡面仕上げにポインセチアの赤が写っていてきれい
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同じ日の宅急便で届いた大きな段ボールは「東京藝術大学同声会静岡県支部」からのお祝いのお花だったImg_9104

次の写真はフィットネスジム「Step Up」のお祝い冊子と[くす玉]
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ほかにもいろいろお祝いやお花やお言葉を頂き書き切れない
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めでたさで他を圧倒した[目出鯛]
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買いたくても買えない「村上開新堂」のクッキー
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とらやの羊羹「夜の梅」と「夢さやか」
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海老煎餅
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長崎カステラ
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等々、まだまだ書き切れないほど頂きました。

さらに驚いたことが1つあります。内示は9月中旬頃だったと思いますが10月末頃の閣議で決定し11月3日に公開だったと思います。それと同時に郵便物の山。これにはさすがにビックリしました(父の時にはこんなになかったです)。左2列はA4版B5版の分厚い冊子。内容は勲章や詔書をセットで入れる額縁がメインで菊のご紋の入った引き出物等の案内や貸衣装・ホテルの案内。3列目はなんと古風で格式のある電報(祝電)、4列目が封書によるお祝いメッセージ。
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とまぁ、こんな具合で体調不良で厄年だったこの一年も最後に笑えて新しい年を迎えることができます。ありがとうございました。

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ジムニー初洗車

早いものでジムニーを迎えて丸4年。その間一度も洗車はしたことがなかった。コーティングしてあったから汚れてもダートを走っても雨が降ればきれいになったのだが、さすがに最近汚れが目立つ。
ハイエースもコーティングしてあったから雨待ちできれいになったが、10年も経つとコーティングは全く用をなさない。
ハイエースは汚れれば洗車機にかければきれいになる。しかしジムニーは荷物を載せるために屋根にキャリアを積んでいるので洗車機にかけることができないから汚れ放題。かと言ってこの寒空、脚立に乗って水仕事はムリ。
そういえばハイエースは3週間も車中泊旅行していると泥だらけになる(4月5月は北海道はまだ雪が残る)。あまりに見窄らしいが旅行中はルーフボックスを積んでいるので洗車機が使えずやむなく手洗いを依頼したことがあった。
それを思い出してジムニーも手洗い洗車をお願いした。この時期だからかなりさきの予約となったが、きょうその日を迎え洗って貰った。待つことおよそ1時間「あまりに汚れが取れないので2度洗いしました」ということできれいに仕上がった。
お正月仕様。
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2024年12月25日 (水)

お赤飯

わが家では毎月一日と十五日はお赤飯だった。しかし、当然ながら(?)母が他界してからはその風習はなくなってしまった(アマティ1歳)。したがって10年くらい赤飯は食べていない。
そんなとき犬友さんからわたしの誕生日を覚えてくれて「赤福のお赤飯」を頂いた。
できあがりが次の写真:わが家に10年ぶりに赤飯の香りが漂う。
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で、頂いたときは「あ、お赤飯が食べられる」と喜んだものの、ん?なになに? 小豆を16時間水に浸けてそれからお米と混ぜて釜で炊く?
小さい字で炊き方が書いてあるのだが、2人で読んでもなんかよくわからない。一つ一つ順番にやってみたらなんとそれは順番にやるのではなく、①正当赤飯の炊き方と②簡易赤飯の炊き方と③チンを使った赤飯の炊き方の3通りが書いてあったのだ。右往左往しながら若干間違えたり重複したりしたがなんとか無事誕生日の夕食に間に合った。
味と香りはすごくよかった〜
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81歳の誕生日を迎えて

いつにまにか、本当にいつのまにかこんな歳になってしまった。気分はまだ60代。
今朝の新聞で2022年の平均寿命と健康寿命が発表になった。
なんで今頃22か?と思ったがどうやら健康寿命は3年ごとの調査らしい。それにしても統計に2年もかかるとは・・・
この調査を見るとわたしはあと半年で平均寿命を消化しあとは余生(おまけ)となるのだろう。
わたしは13年前、アマティを飼うに当たってこの子の寿命は先代"Hana"と同じく15歳。その時にわたしは83歳。当時の男性の平均寿命が80歳くらいだったから15年後には83歳くらいはいくだろうと目論んでいたが、あれま、81.05歳とは以外に伸びなかったな!...そうか、コロナで亡くなった方が大勢いたからかもしれないな。なんにせよわたしはあと3年は頑張らねばならないと・・・
おやおや男性の健康寿命は72.57歳とは... わたしにとって60代後半から70代後半までは人生で最も充実していた時代。体力は有り余り忍耐力も持続力も集中力も全てが充実していたから健康寿命など気にすることもなかったが、この表を見るとあれあれもうとっくに過ぎ去ってしまった。確かにここ2年、輝いていたものが全て剥ぎ取られてしまった感がある。これではいけないと信念を曲げてインドアスポーツとしてフィットネスに通い出し、週に3〜4日はヨガ・気功・太極拳のまねごとをしている。

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今こうして思うに79歳で[要支援2]と認定され自分でも驚き、80になってすぐに[要支援1]に格下げ、さらに来年1月からは要支援の申請を取り下げるまでになった。支援を受けている以上(現在支援という支援は受けていないが)健康寿命とは言えない。来年はこんな生活から脱却して以前のアウトドア派に戻りたいものだ・・・

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2024年12月24日 (火)

壺に花を生ける

南天の実を採りに山小屋の裏山に入り沢山採ってきた。家に帰るなり真っ先に宗像睦雄作白磁壺に生け写真を送ったらなんと「こちらの壺にしなさい」と右側の壺が玄関前に置いてあった。ドキドキして新しい壺に生け直したらどうだ、迫力が全く違う。わたしの生け花ですら作品になったような気がする。
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1つ目の壺はたぶん椿の絵、2つ目は芙蓉の花 もちろんどちらも宗像睦雄作 壺によって花(実)の表情が違うって初めての体験)
彼とは高校2年生の時机を並べたなかである。尊敬する友人だったが先に逝ってしまったのが残念でならないが、こうして作品を見、直に壺に触れて思い出すことができるが、音楽はすぐに消えてしまうのがはかない。

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2024年12月23日 (月)

愛車ハイエース(7年+10年)

わたしは以前「4ナンバーを新車で買うの?」なんて陰口たたかれたり、「エッ、商用車でしょ!」なんて馬鹿にする様な人たちの中で過ごしてきました。
しかし何を言われても平気のへいざで通してきたのが4WD車、DIESEL車(ジムニーはガソリン車・一時軽油規制がかかっていた頃はやむなくガソリン車)、LSD装着(可能な限り)、奇数ドアー車(3枚ドアか5ドア)、車中泊可能車(ランクル40だけは寝れなかった)等々7台のクルマを乗り継いで最終的に辿り着いたクルマがハイエース(正確にはレジアスエース)II(7年)、および現在のIV型10年目。共に4WD,LSD着)。
「これ以上のクルマはない」と言うほどの惚れ込み様である。
先日車検を取って戻ってきた。
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車検の度にお願いするのがバッテリーチェック。寒冷地仕様のため大きなバッテリーを2つ積んでいるので長持ちさせなければならないのです。3年前までは月に2,000km、年に25,000kmも走っていたのでバッテリーもあまり問題なかったのですが、今では月に200kmほどで2〜3回しか乗りません。体調を崩し車中泊旅行ができなくなったこともありますが、近場はジムニーが便利で楽で重宝しているからです。
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車検の際、「バックライトが暗くて車庫入れが難しくて困る」と言ったら電球をLEDに交換してくれました。するとどうでしょう、まるでヘッドライトのような明るさ!... 
な〜んだ、早く換えればよかった!
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また、その際タイヤを冬用に交換して貰ったのでさて、いつ雪が降ってもOK。早く積もらないかな・・・

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2024年12月22日 (日)

コンタック長篠

帰りのガソリン(軽油)が心細くなり遠く下って長篠のJAまで来たらなんとスタンドの隣でJAが運営する鳳来牛を使った焼き肉店、いつもなら昼時長い列ができているから大概は喰うのを諦めているのだが今日は列がない。シメタと思ってお店に入った。
絶好のチャンスだったのでおいしい肉をたっぷり頼んだ。
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妻は肉は喰わないので上の皿は殆どわたしが食らう。
妻は野菜と海鮮・・・
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難を転じて福となす

別荘の掃除に行ったものの、10月以来締め切っていた小屋は真っ白くカビだらけで、とてもこの寒空、窓を開け放って掃除など出来ようも無くそのままドアを閉めた。
裏山に登って南天狩り。みごとなナンテンエース。今年は実の付が悪いがこれだけあるとすごい。Img_9027
家に着いたらほぼ半分になっていたが(途中で貰われ)少し暗くなったがとにかく生けることにした。

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よし、これで玄関前だけは正月が来てもいいぞ・・・
坪庭にもよくマッチするし
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壺は宗像睦雄氏作(白磁に椿の絵付け)

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2024年12月21日 (土)

牛ヶ峰散策

ものすごく寒い朝、朝食後コタツに潜り込んだけど「まてよ、こんな日ならシモバシラの花に会えるかも・・・」と思いつきお尻の重いカーサンを連れ出し牛ヶ峰に向かった。
しかし、またまた空振り!... シモバシラは一輪もなかった。
そんなことはどうでもいいアマティは、自然の中に放たれたうれしくてしょうがない。年甲斐もなくついついはしゃいでしまう。こういう所に来ると目が輝いています。
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次の写真はわたしが大好きな後ろ姿。走っているお尻はとりわけセクシーです。若い頃は足腰尻の筋肉がものすごくもっともっと魅力的だったけどね・・・
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下山中、いきなりアマティが走り出しました。従来ならほっておくのですが老犬がこんなことをするとあとに堪えるので「来い〜」と叫んだ瞬間、アマティの前にニホンカモシカが逃げる姿がありました。こいつ、まだこんなことしています。
制止がききトボトボと歩いて戻ってくる後の残り紅葉が美しかったので「待て〜」と叫んでパチリ。
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やはりコタツに入って過ごす土曜日よりひんやりおいしい空気を吸える土曜日の方がいい

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2024年12月15日 (日)

シモバシラの花を見たくて!...

竜爪山にはたくさんの登山道があります。わたしがここ数十年使っている登山道は文殊岳への2つある堂白山直登コースの西側なのですが、2022年9月の台風15号でズタズタになり非常に危険な状態(このコースだけではないがここは特にひどい)。このようなマイナーな登山道(登りも降りも貸し切り)は復旧が全くされていないどころか一旦壊れた山道は年々崩壊が進む。
しかし、慣れ親しんだルートなので毎年使うが2024.1.7もアマティを連れて行ったのだが、彼は殆ど自力で登り(この箇所のみリードを付けてやったが)、帰りにわたしが滑落してからは急に気弱になった。(なお、この日の写真は帰り
さて、11ヶ月後の今回もこの部分は更にひどくなり、他にも何カ所か崩壊が進み、すでに犬連れの限界を超えている感じ。この時点で帰りはアマティを背負って他の登山道を降りなければならないと覚悟をする。といっても今わたしの体力で30kgのアマティをオンブして下山するのはあまり現実的では無い。かって"Hana"を富士山頂からオンブして降ろしたのとは訳が違う。
と言うわけでおどしたりすかしたり、リードを引っ張ったりおやつで釣ったり、這這の体で全てをクリアし(おんぶ無しで)難所を超える。

アマティはこの岩を「降りられない」とわたしに訴える。通常ならアマティは自分で巻き道を見つけて先方で合流するのだがどう見てもここは無理。こういう場合はリードを繋いであげるのだが、先に降りたわたしはこのロープにつかまってアマティに近づくことができない。なぜならこのロープの支柱は宙に浮いているからだ。カーサンにも手伝ってもらいながらなんとかリードを付け「おいで」と言うと安心して下に降りて来た。今回このような箇所が数カ所あり、全てこの方法でクリア。
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やっと難所を越えお地蔵さまに辿り着いた。今回は初めて「毎年お世話になりました、わたしもアマティももう2度と来れないかもしれません。今回が最後、無事に下山させてください」と声を出してお祈りした。
そしてやっと山頂。ここから静岡市が一望できるこの地(多分自宅も見えるハズ)に先代"Hana"が眠っている(一握りの散骨)。Dsc08459_20241216093001 Dsc08471_20241216093001
山頂はポカポカ陽気で大勢のハイカーがお弁当を食べていた。
こんなに人がいるのにわたし達が通ったルートではだれにも会わなかった。
やはり山頂からの富士山はいいなぁ! そういえば遙か昔はこの辺り木が生い茂っていたので櫓が建っていてそこに登って富士山を眺めた。ふふふ、懐かしい、歳を取ったものだ・・・ わたしまもなく81、アマティまもなく13。アマティ、よく頑張ったぞ!Gimg_8920-2 Img_8914

こんかいの竜爪山登山、道が壊れていたことは承知していたがこのルートでなければならない理由があったのだ。
この日のお天気予報でこの冬一番の寒さ、3度を示していた。静岡市内の標高は40mそこそこだから竜爪山1040m、標高差1000。気温は100m高度が上がるごとに1度下がるから山頂は-7℃ということになる(あくまでも大まか)。「よし、この日だ」としばらく前から決めていた(当日目が覚めて行く先が決まる最近のパターンとはずいぶん違うが)。
ということはシモバシラの花を見るには今シーズン初のチャンスと考えたわけである。しかしどうしたことだ!...シモバシラの群生地をいくつもチェックするものの全くない。ガックリして山頂に着いたら「あれあれ、なんということ」、足下に霜柱が咲いていた。かなり小さく貧相ではあるがあれだけ危険でハードなルートを取ったにもかかわらず見ることができなかったのにぃ!... でも、見れただけで一気に疲れも吹っ飛んだ。山頂でしか見れなかったということは予想ほど気温が下がらなかったということで予報を信じたわたしがバカだった。やはりわたしには[朝起きてからの行動パターン決定]がよく似合う・・・
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わたし達の行動パターンは[山頂ではご飯を食べるだけ]。およそ20〜30分の滞在で下山にかかる。それは登山の目的が山頂踏破ではなく「花探し」だから長居はいらない。帰り道でも花を探さなければならない。が、いつもなら同じ道を見落としがないかチェックしながら下るのだが今回はもう同じルートは犬連れは限界。周遊のあまり変化のないつまらない直登ルートを何十年ぶりに取った。
このルートは確かに危険箇所こそ無いがスゴイ急登続きで降りも斜度があるから大変。
とうとうアマティが吠えて助けを求めてきた。彼はこの倒木を飛び越えようとしたがその先の高低差に驚き急遽倒木の下をくぐろうとしたのだ。が頭は通ったもののお尻が抜けず更にはその先の高度差におびえ困っていたらお尻と後ろ足がはまってしまったのである。これではさすがに困っただろう。わたしも大変困った。ここに戻るにはアマティの目の前に登り用につかまるロープが張られている。これがアマティを降ろすのに邪魔になるのだ。最終的にはわたしが登ってお尻を持ち上げ、藪を巻いて下に降りることができた。Dsc08499

アマティの嫌いな丸太橋。
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でも今日は難なくクリアできました。あれだけ大変なセクションをクリアしたんだから、こんなのはなんともないよね!... Dsc08553

ムラサキの線が本日の歩いた周遊コースです(時計回りに回りました)。これだけ歩き回っても14時には自宅のコタツに入っていたから短時間でいい運動ができました。
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登っていくと途中左に折れる破線が現れます。これをずっと下ると浅間神社にでます。長いですよ!...

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2024年12月14日 (土)

セリそば? セリざる?

冬になると近所のスーパーでセリが陳列される。それを「待ってました」と飛び付くわたし!... 
ソバが大好き、セリが大好きなのです。
最近の蕎麦屋はセリ蕎麦を置く店も増えてきましたが、量は少なく湯がき方も好みではないのでおうちで食べるのが1番!
寒い日は温かいセリそば。薬味は七味唐辛子。
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次はセリざる。本当はこの方がセリの香りもよく歯触りもよい
根っこもバリバリと頂いちゃいます。薬味は根山葵が最高。
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セリって昔は家の裏の田んぼのあぜ道に生えていたんですけどね、どこかで天然物があったらぜひ採ってきたいな。

わたしは何十年も昔はそばなんか大嫌いだったな、父親がそば好きで昼は毎回そばだった。セリのような匂いのキツイ野草も大嫌いだった。それがどうだ、今では「お昼は蕎麦」と言って妻を困らせ、野草のニガ味やエグ味や臭さを好み、ヘンな大人になったものだ・・・

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2024年12月11日 (水)

伊東の仲間たち

伊東には2000年春から通い出したから24年にもなる。
今回この仲間達からも綬章の祝いをしていただいた。この場所は以前20年近くお世話になったbutter noteさん。
実はこの仲間達は昨年の今頃、傘寿の祝いをしていただいたばかりである。負担はかけてしまったが楽しい時間を過ごさせていただいた。
伊東の人たちは文化度が高く何事にも熱心ですばらしい土地柄だ。わたしの体力は細々としているがもう少し通わせていただきたい。
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2024年12月 7日 (土)

お洞慶さんの紅葉

今日の目的は羽鳥の洞慶院横を更に詰めた場所に行くことだったが空振りに終わった。洞慶院まで戻り文珠庵でとろろ蕎麦を食べ、さて帰ろうとしたが、せっかくここまで来たから紅葉を見てこようと思って坂を登ったらなんとちょうど真っ盛りできれいきれい!...
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本堂でアマティと一緒にお参りしたあと記念撮影
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文殊庵のとろろ蕎麦 この色がいい。この色のとろろは天然の自然薯だが結構人気のある蕎麦屋の目玉商品が天然物とは考えにくい。おそらく天然物に準じて栽培したものと思うがとてもよくできている。
「天然物との区別も付かないのか」と言われそうだが、「色は天然物」だがすりおろしたあと伸ばしてあるので正直わからない。
でもいいじゃないか、天然物だと思って喰おう・・・
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2024年12月 4日 (水)

正月準備

お正月の準備に植木屋さんが来てくれた。なんといってもこの大きな松の木の化粧が最も大変で大仕事である。
今日も3人の職人さんが丸一日かかって暗くなって仕上がった。
今時の植木屋さんは高所作業車を使って刈り取るだけだが、なんせこの地に移植して70年、同じ植木屋さんが面倒見てくれている。同じというのは親方、子、孫の3代にわたって毎年同じ植木屋さんが面倒を見てくれている。だから昔ながらに実際松の木のてっぺんに登り徐々に剪定しながら下に降りてくる様子をカメラが二枚の写真に収めている。既に剪定が済んでいる所とこれからの所がはっきりわかる。
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作業を終わったのは暗くなってからだったので、翌朝すっかりお正月準備のできた全景を撮ることが出来た。

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2024年12月 1日 (日)

病める富士

冬の富士山は美しく気高い。遠く静岡市から見てもなだらかな曲線と一人たたずむ姿は、多くの山を見歩きしてきたわたしでも息をのむ。
やっと雪をかぶり天候が落ち着き、近くで富士山を見る機会をうかがっていたら「よし、今日だ」とのお告げがあり出かけてきた。
しかしその富士山も近くに行くと痛々しい姿をむき出しにしている。あろうことか、富士山は今まさに崩壊の危機が進行しているやに思える。
写真正面に見える割れ目が[大沢崩れ]、富士山頂剣ヶ峰のすぐ西側から崩壊が始まっている。
雪のラインの少し下の一番広い所にかっては「お中道」のルートが通っていた。わたしも1度渡りたいと思って行ってみたら直前に通行止めになっていた。まだ対岸にはハシゴが残っていたので強行したかったが断念した。その後も崩れの両側からルートを探ったが結局1度も成功せずあきらめた。一度も挑戦できなかったのは始終岩がゴロゴロと砂煙を上げて落ちているのを目耳にしたからである。
大沢崩れまでは静岡県側のようで、静岡県が崩れ防止工事を長年に渡って行っているがここ半世紀、目に見える効果は感じられないが地道に続けていないと富士山はここから大崩壊を起こすことは間違いなかろう。
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次の写真は山梨県に入ってすぐの位置。大沢の崩れは右端だが、正面にも崩れが何カ所もあり、けっして優雅な富士を思わせるものでは無く老朽化した富士山と言っていいだろう。
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少しカメラを引くと大室山が見えてくる。この辺りは若い頃の遊び場所でジーピングをしたりキャンプをしたりMTBサイクリングをしたり、雪の中を駆け回り、一面のお花畑の中を歩き回り、鹿の大群を追いかけたり、キャンプで夜中に肝試しをしたり、子どもたちにとっても思いでの深い所のはずだ。
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ここは国有地だろうか、半世紀以上も殆ど開発されない広大な空き地である。最近はゲートができて車は中に入れないからアマティのお散歩には申し分ない。近くに有料のドッグランがあり日曜日の今日は激混みだったがここはだれ一人会うことは無い。 Dsc08325 Dsc08321

精進湖に降りて一休み。アマティをクルマから降ろしたら一目散に精進湖で泳ごうとするので慌てて制止した。Dsc08345_20241202090601

途中、雪をかぶった白鳳三山(北岳・間ノ岳・農鳥岳)を見ることができる。その度に気持ちが若返りワクワクする。特に北岳はお花畑を求めて何度も登ったものだ。
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12月に入ったので太平洋側ではもう雨を心配しなくてもよくなった。体力は落ちたがせめて低山歩きくらいはしたいものだ。

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