LabradorRetriever を相棒として27年間野山を駆け巡ってきたわたしの思いとして究極の美しさは "静"と"動" の対比だと思う。
[静]とはお座りしたままいつまでも主人の命令を待つ期待感あふるる姿。[動}とは野山を自由奔放に走り回る姿。
先ずは[動}の場面から:走っている姿ですが実際に手足を地面に突いているのはほんの一瞬であとは宙に浮いているのです。10歳の時の写真ですがまだ筋肉はしっかり付いていますね。いま前足を地面に突きそれよりも前方に後足を突いて蹴上げます。
宙を飛びながら微妙にシッポでバランスを取っています
なにやら楽しそうに飛んでいますね
ちなみに静岡の方言で「走る」を「飛ぶ」といいます
とても妙を得た表現だと思います
次の写真はトーサンに別の指示を受け急ブレーキかけています
次も走りながら「トーサン、なに?」と訪ねています
究極の動きの写真にわたしは次の倒木越えを選びました
では次は[静]
動がイタズラ小僧だとすると落ち着いた大人のイイコチャン
頭もよさそーに見える
さて、話はここからだ!... ラブの美しさは野に放たれ走っているときが一番だと思う。しかしわたしにはどうしても払拭できない美しさとしてウ〇チしている姿がある。これぞ燃えるような闘志を内に秘めながらも身動きしない[静]の極限として無視することはできない。
わたしはこの姿を美しい美しいと思いながらも写真に収めることができなかった。なぜならわたしはこのときはビニール袋をお尻の下に持って行って一滴一粒たりとも地面には落とさないよう気をつけるからで、とてもカメラを準備できないのだ。この日アマティはp−p−になってしまいもう出るものが無い状態、それでも何となく残っている気がして頑張っている姿である。よし、チャンスは今しかない。ということでやっと先日、長年の夢を果たした。おぅ、なんという美しさだ、まさに機能美だ肉体美だ、体全身で表現している姿は宙を飛ぶ姿と共通する。
と喜んでいたときにわたしはある現実を突きつけられた。まてよ、この姿はヒトが元々持っていたある姿と共通する。そう、日本式・西洋式のアレだ!...
わたしはその時の自分の姿勢を美しいか醜いかどうしても想像つかないが、もしかしたら大変大事なものを失ってしまったかもしれない・・・そんな気がする今日この頃!