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2023年9月 2日 (土)

竜爪山の穂積神社

どうしても穂積神社の前身を知りたくて探しているのだがまったく見つからない。出てきたのは昭和64年にいまの鉄筋コンクリートの新穂積神社ができたと言うことだけである。
だからもちろん戦後のことであり、この神社がタマ避けの神様、徴兵逃れの神様、反戦の神様として全国に名を馳せ、多くの参拝者が押し寄せた旨の記述は微かに残るが、それはこの新社殿ができる以前の話である。
以前、わたしの記憶ではこの神社を建て替えるときどこだかの女性社長の寄付金でできたこと、鉄筋コンクリート造りに賛否があったこと、元の位置から今の位置に移転したことへの事由等など声高に語られていたにもかかわらず、30数年しか経っていないのにそれらの記録をまったく見つけることができない不思議。
わたしは中学校や高校の遠足で竜爪山に登っているから、当然前の神社は見ているはず。そう思って暑いさなかPCを見ていたらこんな写真が見つかった。みるからに懐かしいあの当時の穂積神社の気がする。ただ出展も撮影者も書かれていないのでこれが本当に穂積神社かどうかはやや疑問を残す。さらに現在残っている旧穂積神社の石段はこんなに高くなく広さも幾分狭い気もする。
しかし、霊山としてふさわしい尊厳を持った見事で懐かしい穂積神社である。44

この林道がいつできたのかは確認取れていませんが、この道ができたからここに鉄筋の神社ができたのでしょう。
もし、当時わたしにも投票権があるのなら、木造建築で移転無しに1票。Img_3340_20230902143201

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狛犬・神社」カテゴリの記事

コメント

https://diycc.info/taki/index.htm

はじめまして、上記URLに龍爪山の詳細があります。最近は更新がないようで、問い合わせアドレスも停止のようです。

投稿: Tet | 2024年6月30日 (日) 12:45

Tetさま

竜爪山の資料、ありがとうございます。
これだけの資料が残っていたのですね、大感激です。
静岡の屋根である竜爪山。
わたしたちの小中高の校歌にも出てきた竜爪山。
また、穂積神社も後世に伝えねばなりませんね。

投稿: yopi | 2024年7月 2日 (火) 17:54

改めまして、よろしくお願いします。
先日、竜爪茶の新茶を買いに、平山鈴木農園さんへ行きました。私の父親は昭和9年生まれで、当時静岡市にあった木の花町にいました。小学生の時に大陸へ渡り、終戦後清水市へ、その後、神奈川へと移り現在に至ります。

私が、小学生のころまでは瀬名・光鏡院に墓がありましたので何度か伺った記憶があります。現在は神奈川の霊園に移設。

実のところ、龍爪山開祖が誰だったのか?あの山奥深き場所で神格化され生きてきた一族が、徳川の時代に駿河の平山・布沢・吉原・清地から認知されていく。しかし、現代になって、もう誰も解らないのかもしれません。
龍爪山の樽の権兵衛が本当は誰っだったのか?誰か知りませんかね。

投稿: Tet | 2024年7月 3日 (水) 20:53

Tetさま

わたしの家は江戸時代から商いをしていたようです。おそらく代々生粋の静岡っ子とおもわれます。わたしも学生時代を除いた80年間静岡で育っていますが、なんと竜爪山や穂積神社についてはだれからも聞いたことはありません。父は戦争には行ってませんが竜爪神社のことは聞いたことがありません。
なにか言いたくないことでもあったのだろうか、だれからも聞いたことがないのです。
わたしは登山が趣味で竜爪山のあらゆるルートから登ったりして楽しんでいたのですが、そのうち風の便りで穂積神社の話を聞き資料を探したのですが見つけることができませんでした。
そんなときにTetさまから詳細をお教え頂き驚き喜んでいるところです。内容の濃い本書ですので何度も読み直しが必要な大変貴重な資料をお教え頂きありがとうございました。

投稿: yopi | 2024年7月 6日 (土) 09:29

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