ハンディートランシーバー
スマホも携帯電話もポケベルもなかった頃の話である。
もちろんメールもメッセンジャーもラインもなかった頃の話である。
わたしたち仲間同士が屋外で連絡を取る唯一の手段はアマチュア無線しかなかった。ただしこれは国家試験に受からないと運用できない。従って四輪駆動の仲間、山岳サイクリングの仲間、登山の仲間の中で飛躍的に広がっていった。
わたし自信も家の2階の屋根の上に大きな八木アンテナを立てて固定器にしがみついていた。クルマには車載器がいつもザーザーと鳴りっぱなし。クルマから離れるときはハンディートランシーバー(写真)を腰に付けていつでも応答できる状態になっていた。
幸いにして緊急の「非常無線]は出したことはなかったが、非常事態が起き町中にいる仲間を中継にして救急車を登山口まで要請したことがあった。
わたしの家では妻も2人のこども(当時小学生)も免許を取り無線を運用していたので、いつだったか国1由比の大事故で家に帰れなくなった連絡ができたりした。
また、富士山3合目辺りで仲間のパジェロのクラッチが壊れ、わたしのランクルで牽引して岩場を登ったり下ったりしながら静岡まで引っ張ってきたのも無線が繋がった状態だったからこそ可能になった荒技だった。
無線機のいい所は常時繋がりっぱなしでいつでも待機していることができることだ。それだけは携帯電話もポケベルもスマホもできない(やってきなくはないだろうが)。
もっと身近な話では52号線を県内に入る頃から無線が通じるので帰宅時間を知らせたり風呂を沸かす時刻を設定できたりした。
そんな風にフツーに移動電話として使えていたが、もちろん地形や距離で通信範囲は阻まれた。当時は家庭に置いてある電話を固定電話と呼んだものだ。
先日偶然、最後に残ったハンディトランシーバー及び無線従事者免許証が見つかったが、もう無用の青春である。
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