2023年9月
2023年9月29日 (金)
2023年9月27日 (水)
シラヒゲソウ
朝9時に整体に行ったら体も心もすっかり軽くなり、「こんないいお天気の日に家に籠もっていてはいけないな」
しかし、アマティは安静と言われているのに山に連れて行くわけにもいかない。そこで断腸の思いでアマティにお留守番をさせることになった。犬を飼いだして27年間、そんなことはほとんど無く(どうしても連れて行けなく、ペットホテルに預けたことが数日ある)どこに行くのも一緒だった。だから2頭の犬はほぼ全国にクルマでいき車中泊しながら旅行してきた。
にもかかわらず最近の看病疲れから逃れるように出かけてしまった。家を11時発。コンビニおにぎりを食べながらクルマを運転。12時に梅ヶ島の登山口着。すぐに歩き出して1時間、安倍の大滝着。30分弱滞在して家路に急ぐ。わたしとしては強行軍である。
シラヒゲソウは案の定、少し遅かったがたくさん咲いていた。
わたしはこの子たちを「神々の悪戯」と呼ぶほどの細かい細工で美しい花を形成している。
実はこの場所はここ数年ヒルの増殖地となっていてあまり来たくはなかったのだが、1年経つとその痛みも痒みも忘れてこの不思議な花に会いたくなる。
しかし、ヒルと仲良しになる気はさらさらなく、ことしは「無理に滝を背景に入れるのはやめよう」と固く誓っていた。なぜなら滝を入れるためにはどうしても草むらに寝転ばなくては撮れないのだが、それを止めたことによって一匹も食い付かれずに済んだ。
2023年9月24日 (日)
2023年9月23日 (土)
2023年9月22日 (金)
取りあえず退院
アマティは三日三晩動物病院でエコーやレントゲン、血液などの検査を受けたが原因はわからないまま取りあえず退院した。ただし、お散歩は5分、十二双川は厳禁という条件付きで・・・
症状はうまく言えないが魚の骨が喉に刺さったときあるいはタンが喉に詰まったときに吐き出そうとするあの行為と音である。この症状は若干治まったような気がするが相変わらず続いている。これは大変体力を消耗するだろうし苦しそうである。
血液検査も炎症反応があるがやや下がる傾向にある。4日病院で見守っていただいて検査してこれだけしかわかっていない。
あとは抗生物質を飲ませ様子を見るしかない状態。
写真は暗くなって家に帰ってきてご飯を食べて(食欲は旺盛)わたしに甘えている様子。何か言いたいんだろうけどわたしには伝わってこない。わたしたちのしゃべる言葉はほとんど理解できるくせにわたしたちには何もしゃべってくれない・・・
「トーサンのお腹はふっくらして気持ちいいだろ!...」
2023年9月21日 (木)
とんかつを食べたくて
何ヶ月かに一度は無性に肉が食いたくなることがある。きょうがそんな日に当たった。幸いアマティが入院中なのでいつもは後ろ髪を引かれる思いで外食したものだが、きょうはじっくりいただくことが出来る。
今回はなぜかトンカツが喰いたくなった。実は何ヶ月か前、お気に入りのこの店でとんかつを食べたらおいしくなかった。この場合店側に何かあったのかわたしの体調に何かあったのかはわからないので、もしこの次もおいしくなかったら「2度と食いに来るものか」と思い、次なる候補店を探しながら数ヶ月経った。
そんな訳でゴク久しぶりにこの店でランチとんかつを食べたらこれがバカうま。他店で覚えたダイコンおろしを注文して食べたらこれが滅法相性がいい。このお店のソースも好きなので、ダイコンおろしと交互に味わいながらおいしくいただいた。
2023年9月20日 (水)
2023年9月17日 (日)
アマティ入院!!
アマティは17日(日)、朝のお散歩は谷津山に登り山頂広場で木の枝を追いかけて走り回り、一旦下山したもののわたしがカメラをどこかに落として再登山するなど、いつもの通りの生活をしていました。
が、夜になると空咳が出たり「ケーッ」 という戻し声が出だし(最近たまに出ているのだが)それが止まらなくなるのです。
「またか、こまったな」と思いながらもわたしは寝てしまったのですが夜中1時を過ぎるとまたひどくなり、その後は何度も起こされました。朝になりお散歩に出るとまた元気になり、その夜(月曜で祭日)また同じように苦しみ出すのです。
夜間救急病院を調べたら19〜翌2時までとあるのでもう少し早い時間だったら連れて行けたのですが・・・
結局2日間お互い眠れぬ夜を過ごし、火曜日(19日)一番で行きつけの病院に伺いました。かなり時間をかけて検査をして貰ったのですが原因がわからず夕方まで入院することになりました。
写真はアマティが入院している動物病院です。特筆すべきは病院のシンボルであるイヌのモニュメントがわがジムニーと同じカラーなのです。なんという偶然!!
夕方お迎えに行ったら「どうしても原因がわからないからもう一日預からせてくれ」ということでショートのお散歩だけして泣く泣く帰り、翌20日(水)夕方迎えに行ったら先生から同じく「どこかで炎症が起きているが特定できない」ということで「数値上は危険な状態」と言われさらに入院は延長。食欲はあり、わたしたちには元気な姿を見せる。21日(木)は休診日なのでお迎えは22日(金)の夕方になってしまった。
いままで何があっても一緒に生活し、旅行に行くにも預けることをせずクルマに乗せて26年間過ごしてきたのに(先代から数えて)、急にアマティのいない生活がなんとも張り合いのないものになっていく自分に気付くがただただ祈るしかない・・・
次の写真は18日の夜中、余りにも苦しかったんだと思う、わたしの介護ベッドによじ登ってわたしに身体を預けながら安心したのか寝入ってしまった様子。
この子はいつもはカーサンの布団に潜ることはあってもトーサンの所には決して来なかった。しかも先月からベッドに寝ているからよじ登るのも大変だったろうが、今晩はなんとなくわたしに甘えたかったのだろう・・・
今朝も谷津山
実は昨夜から「明日は早く起きて谷津山に登ろう」と決めていて、飲み水やカメラを用意しておいたのです。しかし何を血迷うたのか1時間も時間を勘違いして家を出たのは6時25分。山頂につくとすでに日が昇り大変な暑さに見舞われてしまった。せめてもの救いは薄曇りだったことか?しかしその分湿度が高くつらい山行だった。さらに大きな悲劇が起こることはこの時点では予想できなかった。
山頂に着くとまずは古墳神社にお参りしアマティには狛犬のお仕事を果たして貰う予定が、彼は今日は疲れてスフインクスになってしまった(まぁ、狛犬のルーツもスフインクスにあるからいいとしよう)。
お参りが終わったら広場で枝投げ遊び。今日も元気に走ることができました。スピード感が出ているスゴイ写真です。四つ足が宙に浮いているようにも見えます。早すぎてカメラのオートフォーカスが追いつきません。
あれ? アマティは急に何か感じたようです。空中ですでに方向を換えようと身体をひねっています。
ピントはまあまあグリーンの首輪に合っています。
大きくひねってますねぇ! アマティはなぜか舌を出しています。自分の方向ミスに気付き「へへっ」と舌を出したのでしょうか?
ピントは舌にピッタリ合っています。
もうほぼ直角に走る方向が変わったようです。やはりレトリーブする枝の方向を見誤ったようです。
ピントはアマティの尻の穴にピッタリ!...
はい、やっと枝に辿り着きました。ピントはアマティのタマタマです。
とまぁ、こんな訳で二人で遊んでお水を飲んで帰路につきました。
山を下りた所に妻の両親の眠るお墓があるのでそこにお参りして北街道に差し掛かる頃「あれ?ボディーバックが開いている、エッエツエッ、荷物がこぼれている、ペットボトルの水がなくなっている、エッエッ、カメラがない」と言うことで再び先ほど遊んだ頂上まで探しに行かねばなりません。いきなりの方向転換にアマティは地べたに踏ん張って「もういや、おうちに帰りたい」とだだをこねます。それでも無理矢理引っ張って登山道まで戻ったらさすがに登山犬、わたしの前に出て登り始めました。
およそ半分も登った頃だろうか、見覚えのあるペットボトルを発見。その後は目を皿のようにして登って「あ、カメラだ」ということで無事先ほどのデータがカメラごと手元に戻りました。「ふ〜、最近こんなお粗末事件がよく起こるなぁ〜、気をつけないと...」
2023年9月15日 (金)
今日は何の日
「今日は何の日?」と問われて「敬老の日」と答えたがあれ、マテよ?
確か敬老の日は祭日のはずだなぁと思いながらカレンダーを見たら今日は「老人の日」なんだそうである。[敬老の日]は9月18日となっていた。「えっ、いつからそんなことになったの」と思ったもののすでにお祝いは貰ってあるからどうでもいいか・・・
[敬老お祝い]が静岡市から頂いている。薄っぺらなのでなんだ、1万円かぁと思って中を見たらとんでもない、五千円札一枚だった。「市から毎年五千円くれるならまぁいいか」と思ったがマテよ? [傘寿]と書いてあるからあれあれ、80歳の1回のみのようだ。
バームクーヘンの方は町内から出ているようだ。事前に何がいいか三択のアンケートが来ていたのでバームクーヘンと答えた。しかし、これはおそらく毎年頂けるんだと思う。というのは10年以上前になるが、まいとし父母の敬老の日のお祝いを町内会に代理でもらいに行った経験があるからだ。
さて、これで老人の条件は全て揃った。といって老人らしく過ごす気はさらさらないがかと言って若者のように過ごすには歳を取り過ぎている・・・
2023年9月11日 (月)
滝壺遊び
ハクとアマの遊びを声を出しながら笑える写真なのです。
ハク:3歳♂。パワーみなぎる心の優しい遡上大好きな黒ラブです。
アマ:11歳後半♂。傍若無人な性格のチョコラブで、他の子に負けるのが許せないパワフルな子でした。水泳も絶対的な自信を持っていたのですが以前滝壺に飲まれ死ぬ思いをした経験から急な流れや泡の立つ流れには近づかなくなりました。若い者にはすごく威張りますが年老いた両親には優しく気を使える子です。
写真① 誰かが滝壺めがけて木の枝を放り投げました。ハクもアマも競って壺に飛び込みました。だって2頭ともRetrieverですからね!しかしアマは白波が怖くて近寄れません。枝をくわえたハクが流れてくるのを待ち構えています。
写真④ あれ、アマの表情が厳しくなっているぞ! 「おい、オレによこせ」、ハクの顔が気弱になり「アマにいちゃん、これはボクんの」と言ってます。
写真⑥ 仲良くくわえたまま陸に上がりました。足が着けばアマの方が腕白なのにね!
写真⑧ あれあれ、アマに取られちゃいました・・・
とまぁ、こんなバトルを何度も何度も繰り返していましたとさ!
ちなみにハクはまだ水の怖さを知らないので猛然と急流に立ち向かいます。
押し流されながらそれに立ち向かっていくハク。まるで立ち泳ぎをしているような体型になっています。この子はいつまでもこうして遊んでいるのです。
ジョウロウホトトギス
朝の連続TV「らんまん」で有名になったジョウロウホトトギス、静岡にもスルガジョウロウホトトギスの咲いている山があります。
ことしも見に行くことができました。きれいに咲いていましたが少し早かったかな!?
写真ではなかなかあの黄色と緑の混じった色が出せませんが、わたしのJimnyのキネティックイエロウと同色系で大好きです。
咲いている所は水が滴っているコケの上。なので大雨が降る度に崩壊して流されてしまうので年々高い所によじ登らないと間近では見られません。いつまでも咲いていてほしいものです。でも、わたしはいつまで来れるかわかりません。「これが最後かな」と思いながら目に焼き付けています。
こうして写真を見ると「これは80のジイサンがやることじゃねーな」と毎年思うのであります(昨年は79のジイサン)。
滝壺遊び
滝壺遊びを兼ねて毛無山川沿いハイク(ヒト7,イヌ3)に行ってきました。下界は暑かったけれど登山口で1000mあるからひんやりしています。
このコースの唯一の問題点は徒渉があることです。長靴3名、渓流釣り用2名、濡れる覚悟の軽登山靴1名という完璧度。これなら昨夜の雨で増水していてもダイジョウブ!
さて、最初の徒渉。泡が立って深さが見えないのでコワゴワです。そんな様子を見ると愛しいラブたちは心配して近づいてくるので、当の本人にとってはジャマな存在ですが・・・
難所は渡りきりました。水の大嫌いなクリはお姉さんにダッコされて渡ります。
さて、オトーサンの登場。長靴と2本ストックで完璧。
それでも普段は座骨神経痛でフラフラしているトーサンを見ているワンはわたしの側に寄り添います。
こうして何カ所かの沢を渡ったりよじ登ったりして楽しみました。が、ただヒトリ、水を楽しめない子がおりました。おやつを出してもどうしても渡ろうとしません。この後この子は驚きの行動に出ました。
写真は残っていないのですが、渡れなくてさんざん悩んだ結果、ママではなく一番後にいたk氏のもとに行き「だっこしてください」と訴えたのです。周りのものはこの要求に口を開けて唖然。たしかにこの場合、ママは一番信頼できないかもしれない。しかし、いままで何本かの徒渉で若いお姉さんやお兄さんにダッコされてクリアしていたのになんでKジイさんのところに行ったのでしょう。
この子たちはこういう場面ではこのヒト、ああいう場面ではあのヒトというふうにしっかり差別しているんですよね、きっと!... あ、わたしはかって(10年前)この子に水泳を覚えさせようとして水の中に投げ込んだことがあるので、まったく信頼されていません。
イヌの能力ってすばらしいですよね、驚きます。
2023年9月10日 (日)
朝散は久しぶりに谷津山へ
元気な頃は毎朝、朝の散歩は谷津山だったんです。わたしの家から山頂まで40分、山頂から家までが30分弱で行ってこれますが、山頂で毎回遊んでくるので1時間20分で往復できます(ルートは自宅からまっすぐ南下し谷津山の麓に来たら瓦場登山口から登り山頂古墳経由で沓谷に降ります)。
だからちょうどいい運動だったのですが、わたしが体調を崩し座骨神経痛などにより要支援に認定されるとそれもまったくできなくなって2年近くかかりました。
もう身体がなまってなまってお腹はでてくるわでてくるわで一念発起、朝早く目覚めたので6時前に家を出ました。
〇涼しかったのですが低山ですから半ズボンで出かけたのが失敗:この時季ですからまだ下草がかられていなかったのです。露で濡れた草が裸足にまとわりつき気色悪いったらない!...
〇朝早くでしたからまだ誰も登っていないので蜘蛛の巣だらけでこれもマイッタ!... 細い枝を折って目の前でグルグル回しながら歩くのですがそれでも顔に張り付きます。
しかし、体調は思ったより順調でタイム的には以前登ったときと同じです。ただ、若干だけど左股関節に違和感を覚えました。ただ、2〜3日してどうなるか少し心配。
山頂の古墳神社ではいつものように社と御神木の前で狛犬ポーズ。
そして山頂広場で遊ぶのですが、アマティも最近体調が悪くほとんど運動もしていなかったのでほんの少し走っただけです。
喜んで走っている様子が伝わってきます。でも、明日も登山があるからほどほどに遊んで帰ってきました。
2023年9月 9日 (土)
ハンディートランシーバー
スマホも携帯電話もポケベルもなかった頃の話である。
もちろんメールもメッセンジャーもラインもなかった頃の話である。
わたしたち仲間同士が屋外で連絡を取る唯一の手段はアマチュア無線しかなかった。ただしこれは国家試験に受からないと運用できない。従って四輪駆動の仲間、山岳サイクリングの仲間、登山の仲間の中で飛躍的に広がっていった。
わたし自信も家の2階の屋根の上に大きな八木アンテナを立てて固定器にしがみついていた。クルマには車載器がいつもザーザーと鳴りっぱなし。クルマから離れるときはハンディートランシーバー(写真)を腰に付けていつでも応答できる状態になっていた。
幸いにして緊急の「非常無線]は出したことはなかったが、非常事態が起き町中にいる仲間を中継にして救急車を登山口まで要請したことがあった。
わたしの家では妻も2人のこども(当時小学生)も免許を取り無線を運用していたので、いつだったか国1由比の大事故で家に帰れなくなった連絡ができたりした。
また、富士山3合目辺りで仲間のパジェロのクラッチが壊れ、わたしのランクルで牽引して岩場を登ったり下ったりしながら静岡まで引っ張ってきたのも無線が繋がった状態だったからこそ可能になった荒技だった。
無線機のいい所は常時繋がりっぱなしでいつでも待機していることができることだ。それだけは携帯電話もポケベルもスマホもできない(やってきなくはないだろうが)。
もっと身近な話では52号線を県内に入る頃から無線が通じるので帰宅時間を知らせたり風呂を沸かす時刻を設定できたりした。
そんな風にフツーに移動電話として使えていたが、もちろん地形や距離で通信範囲は阻まれた。当時は家庭に置いてある電話を固定電話と呼んだものだ。
先日偶然、最後に残ったハンディトランシーバー及び無線従事者免許証が見つかったが、もう無用の青春である。
2023年9月 8日 (金)
ついに補聴器(?)
わたしの右耳は在職していた頃から難聴気味で困っていた。話しかけられたり呼ばれたりしても方向がわからない。クルマの運転中も救急車が迫ってきても前から来ているのか後ろから来ているのか、右からか左からか・・・
電話の話し中のツーツーという信号音、あの音が右耳と左耳でピッチが違うんですよ。あれにはわたしも驚いた。きっと右耳の高い周波数と低い周波数が聞こえにくくなり音程が違うように聞こえたんでしょうね!
わたしが退職して暫くして父があの頃では最新のデジタル式補聴器を作ったばかりで他界しました。わたしはそれを自分の耳用に再調整して貰って使ってみました。しかしなんだあれは?当時のわたしには全く用をなさなかったですね。もっとも腹が立ったのは極小電池の交換ができない。小さすぎて見えないんですよ・・・
そんなことがあって十数年、聞こえなくて困りながらも補聴器のことは頭からはすっかり離れていた。そんな時同じデイサービスに通っているおばあさんから「これは使いやすいよ〜、値段も安いし、補聴器なんか問題じゃない」と教えられ早速取り寄せてみた(娘さんがネットで探してくれたそうだ)。それは補聴器ではなく集音器というもので補聴器の1/100の値段で買える代物。充電式だから電池の交換は無し。使うのには音量調整の慣れが必要だが、問題なく聞こえる方の耳と微かにかぶる程度、別の言い方をするとシャーと雑音が出る直前に調整すること。慣れに若干の時間がかかるが、これで人との話が聞き取りやすくなり聞き返しの回数も激減。TVの音量も大きくしなくて済む。また、音の方向がはっきりしていて大変助かる。というわけで今日は集音器のご案内。
2023年9月 7日 (木)
もはやこれまでか・・・
左手親指の第3関節を痛めて何年になるだろうか!?
わたしはこれまで身体のいろいろな故障を乗り越えて80目前まで生きてきた。あるときは右手のシビレにもだえながら、あるときは山歩き中に足の痛みにうずくまり、あるときはめまいで何かに掴まらなくては立っていられなくなるのを繰り返し、あるときは堅い雪の上にたたき付けられ息ができないほどの堪えられない痛みに悲鳴を上げ、「あぁ、オレの人生もここまでかな」と何度も思ったほどだった。
しかし、これらの苦難をわたしは知らないうちに奇跡的に乗り超え、なんとか自分の身体を脳の指示通り動かすことができてきたことは大変ラッキーなことだった。
しかし、この左手親指の痛みだけはすでに数年経ち、整体やスポーツ整体、医薬品、サポーター、固定具などいろいろな療法を試してみてもいまだ奇跡は起きていない。
原因ははっきりしていてチェロの無理な練習にある。Bachの無伴奏チェロ組曲の6番のPRELUDEのほんの数十小節を何度も繰り返し練習したのがいけなかった!...
以前はなんの問題もなく弾けていたのにいつのまにか弾けなくなっていた。「歳を取ったのだから仕方ない」と思いながらさらに練習を重ねるとイタミが出てきた。こんなことはたまにあることで休み休み続けたのだがそのうち弾きながら急に痛みが走るようになった。
しかし、老い先短い中、こんなステキな曲が弾けるならたとえボクの指が壊れ様がそれはそれですばらしいことではないか?と思うようになり痛くてもさらに弾き込むようになった。しかし、やはり限界はじきに来てしまったかな・・・
まったく弾けなくなってしまった訳ではありません。少しは引けるんですが時々痛みが走ったり、その後で痛くなったりします。
これはわたしの手のレントゲン写真です。実はわたしは頸椎・胸椎・腰椎の各関節が変形し関節の隙間も狭くなり、痺れや痛みや肩こりはかなり以前から起きているから結構慣れっこになっている。だから今回も「あ、またか」程度の認識だった。
1つ目の写真は左手全体、2枚目の写真は左右の親指だけのレントゲン写真。第三関節を見比べると左の方が隙間がないことがわかる。ほんらいここにコンドロイチン等が詰まっている所で、このように骨と骨が擦れ合う場所ではない。
医者に言わせると「手術で痛みを取ることはできます、ただ元通り動くかどうかは保証できません」とのことなので「今さら手術してもな〜」と思うこの頃。
「BACHを弾いて手が壊れるならそれはそれで本望である」と思ってこれでもかと弾き込んだのは事実である。その結果さらに故障を早めたのも事実である。
さいわい、まだ弾けるバッハの曲もあるし、チェロ以外にも楽しみのカードはまだ何枚も持っている。
わたしは嘆いているのでもなく同情を誘っているわけでもない。80歳の青春のある出来事を記しておきたいだけの話である。
2023年9月 2日 (土)
竜爪山の穂積神社
どうしても穂積神社の前身を知りたくて探しているのだがまったく見つからない。出てきたのは昭和64年にいまの鉄筋コンクリートの新穂積神社ができたと言うことだけである。
だからもちろん戦後のことであり、この神社がタマ避けの神様、徴兵逃れの神様、反戦の神様として全国に名を馳せ、多くの参拝者が押し寄せた旨の記述は微かに残るが、それはこの新社殿ができる以前の話である。
以前、わたしの記憶ではこの神社を建て替えるときどこだかの女性社長の寄付金でできたこと、鉄筋コンクリート造りに賛否があったこと、元の位置から今の位置に移転したことへの事由等など声高に語られていたにもかかわらず、30数年しか経っていないのにそれらの記録をまったく見つけることができない不思議。
わたしは中学校や高校の遠足で竜爪山に登っているから、当然前の神社は見ているはず。そう思って暑いさなかPCを見ていたらこんな写真が見つかった。みるからに懐かしいあの当時の穂積神社の気がする。ただ出展も撮影者も書かれていないのでこれが本当に穂積神社かどうかはやや疑問を残す。さらに現在残っている旧穂積神社の石段はこんなに高くなく広さも幾分狭い気もする。
しかし、霊山としてふさわしい尊厳を持った見事で懐かしい穂積神社である。
この林道がいつできたのかは確認取れていませんが、この道ができたからここに鉄筋の神社ができたのでしょう。
もし、当時わたしにも投票権があるのなら、木造建築で移転無しに1票。