天国と地獄と(1年を振り返って)
今年のお正月は(1/2)虫歯が痛くなったことから始まりました。1/6やっと歯科医院が開始して先月までほぼ11ヶ月、毎週歯医者通いに費やした1年でした。
歯医者の合間を縫って3月には新潟に車中泊でオオミスミソウの花旅が例年のように始まり、4月から5月にかけて感動の北海道旅行までは例年のように順調でした。
北海道では「天国に来てしまった」と思うような光景に幾度となく出会いました。
おいしいものもたくさんいただきました。
えりも岬の近くのお寿司屋さんで食べた海鮮丼は忘れられません。春ウニ、ツボ(これが激うま)、ボタンエビの丼。
瞬の天然川鰻も天国に連れて行ってくれました。
北海道で食べたシャコがおいしかったけれど、静岡で戴いた活きシャコはすごかった。生きている奴を目の前で茹でていただきました。
北海道旅行から戻ってからすっかり体調を崩し辛い生活が始まりました。主に北海道北部でまだ雪が残る上で過ごしたためテントを張る事ができず車中泊で過ごしたのですが、腰を曲げて屈んでの生活で腰痛が悪化し半年以上経った今もまだその後遺症に悩んでいます。
ハイエースは素晴らしい相棒なのですが老いた身にはキツかったようです。
旅行の疲れからか単なる老化かはわかりませんが、8月になって山登り中に目まいがひどくなってうずくまってしまう事が度々起こるようになりました。最初は熱中症かと思い水分を多めに摂りながら歩いていたけど一向に改善しません。それは現在も続いていて困っています。
先日試しに血中酸素濃度計を携帯して目まいが起きた時に測ってみたら84%と出てこれは一大事だと驚きました。あわてて医者に相談したら「無理な運動をしてはいけません」の一言で済まされてしまいましたが•••
体調を崩したのはわたしだけではなくアマティも厄年だったかもしれません。あと1週間で10歳になるアマティですが秋以降度々ひどい吐き気に襲われています。クルマの中でも布団の上でも所構わず吐くのでお手上状態。もちろんその都度病院に行き血液検査とエコー検査をしているのですが原因が特定されていません。とうとう3日間入院して点滴を受ける有様。来年になって体力がついたら「内視鏡検査をやりましょう」ということになっているのですが、その後すっかり元気を取り戻しています。写真は入院中に面会に行った時のなんとも情けないアマティの顔です。
しかし、アマティにはずいぶんたくさんの元気をもらいました。一緒にあちこち花や山や川や雪や海やをおとづれ、楽しく過ごしてきました。このひょうきん者のを見ているとますます元気が湧きます。
わたしはコレクション癖があるのでついつい他人から見ればつまらないものを買ってしまうのですが、今年は久しぶりに再発してしまいました。ここ数年、北海道に行くたびにアイヌ部落二風谷の[工房つとむ]を訪れ貝澤徹氏のマキリを製作している姿を見てきた。毎回ほしくてウズウズしていたのだが「予約後1年」と言われて二の足を踏んでいたのだった。それが今回「コロナの影響で製作に没頭でき3本譲れる」との話を受け、清水の舞台から飛び込む思いで購入してしまった。
わたしの災難はまだまだ続き、左手親指第3関節の痛みは消えない。加齢及び酷使によりコンドロイチン減少と骨棘が原因のようで、左手の親指を頻繁に使う曲は痛くて弾けない。とは言え弾けないというと余計弾きたくなるもので、サポーターやテーピング等で色々試して、封印していた曲を弾き出そうとしている。痛みがなくなった訳ではないが「これなら弾けるかな」というところまで辿り着いている。
夏の間アマティは、わたしがチェロを弾き出すとチェロの足元に転がりお昼寝する姿をよく見たが、どうやらそれはエアコンからの涼しい風の吹き下ろし口だったからではないかとの結論に達していた。しかし、冬になってもこの形態は続いている。なぜならこの頭の先にあるガスストーブは暖かい風を噴き出しているから•••だと思われる。
ま、なにはともあれ、アマティがここにいてくれるとわたしの練習ははかどり、気持ちが豊かになる。
このようにしてわたしにとって激動の1年間があと数時間で終わる。トータルでみると喜寿の前半は例年通りのとても良い年で天国まで体験した年だったが、後半は体調不良に振り回された(Amatiも含めて)地獄のような大変な年だった。
チェロも騙し騙しなら親指を使う曲も弾けそうな気配を感じながら、新しい年によいスタートが切れればと願わずにはいられない。