山伏岳はわたしの初恋の山というだけあって、取り憑かれた様によく登りました。あるときはカメラと三脚を担いで、あるときは無線機を担いで、あるときは自転車を担いで、あるときはスキー板を担いで、あるときはイヌを連れて、あるときは友達仲間を連れて、西日陰沢ルートや扇の要ルート、勧業峰ルート(当時はまだ県民の森の林道がなく細い壊れそうな登山道だけでした)、八紘嶺からのルートなどなど、変化には富むもののかなりハードな山でした。
そういえば安部奥に雪が積もったらしいとのニュースを聞き、それ行けと単独で西日陰沢から登ったときは蓬沢から上が腰までのラッセルで歯を食いしばって登ったことを思い出します。西日陰沢からスキー板を担いで登ったときは山頂付近では全く滑るところがなく担いで引き返した思い出もあります(扇の要は根雪が着いていないのでほとんど滑れなかった)。深雪を新窪乗越までスキーを担いで登り、お弁当を食べていざ滑り出したら一面ホワイトアウト。右も左も上も下も分からない状態に巻き込まれました。左右に関しては岩は全部雪に覆われているので問題ないのですが上下は全く見当が付かない。スキーの板が上に向かっているのか下に向かっているのか分かるのは、なんとなく感じるスピード感だけなのです。幸いルートは外れても扇の要状になっているので、スピードをコントロールしさえすれば下に降りられることを信じて生還した覚えがあります。
まぁ、そんなわけで初恋の山は実にいろんな体験をさせてくれました。
お花畑もステキでしたよ〜。この写真は2005.8.1に撮った山伏岳山頂のヤナギランが咲き乱れる風景です。
こんな姿は今は夢の夢。鹿害だと言われていますが、わたしに言わせれば鹿害も少しはあるかもしれないが気候変動だと思います。だって、ニホンジカは日本中にはびこっていますがヤナギランが咲く聖地もいまだ各地にあります。北海道ではあんなにエゾシカがいるにもかかわらず、7月末には平地でもヤナギランが咲き乱れているからです。
もう一つ、記録しておくべきことがあります。山伏岳から井川湖方面に下りた2つの村にそれぞれ田代の大井神社と小河内の大井神社がありますが、この神社のご神体はどちらもオオカミなのです。オオカミが熊やイノシシやシカから村を守ってくれ農作物を守ってくれた「オオカミ信仰」の里なのでです。ここの狛犬はオオカミの形をしているがやさしくかわいい顔をしています。
かってはオオカミがシカを狩猟しその結果ヤナギランがお礼として咲き揃っていたのかもしれない。ニホンオオカミを絶滅させたのは誰だ?!
山伏の景色にはもう一つの忘れられない光景がありました。山頂には枯れた立木が数本立っていて安部の山々と協調してすばらしい深山の景観を醸していたのです。この写真がいつ頃のものかデータが残っていませんが、ヤナギランが咲き乱れていた時代と一致します。この巨大な木がなぜ立ち枯れしたのかは分かりませんがこれが風物詩だったことは間違いのないことです(今はこの木も倒れ朽ち果てた姿で元の場所に横たわってています)。さて、この写真、実は登っているのは今は亡きわたしの弟です。彼はこういうことに長けていた。わたしには到底真似できない。
次の写真は同じ山頂のヤナギランの群生地です。2008.8.10
最初の写真の3年後とは思えない姿です。ヤナギランが激減しています。その後静岡市は対策としてヤナギランの群生地を金網で取り巻き、今日に至ってます。金網の中側を撮った写真とはいえ昨日の写真と13年前の写真とたいした変わりはない様に思えますが...
山伏岳に登るルートはその後増えて、県民の森-牛首峠の道はさらにその奥までつながり、1時間歩けば山頂に着く様になりました。少し前までは雨畑林道から山頂まで30分のルートもありました(今は多分通行止めか)。
年老いたわたしでも1時間ならなんとかなるかな?来年も来たいものだ!... なんと言っても初恋の山だから...