BACHがあるから... Casalsがあるから...
チェロを初めて62年。高校に入ったとき父にせがんでチェロを買って貰った。そのとき父はなぜかCasalsのBACHのレコードを買ってきてくれたのだった。わたしはそれに取り憑かれるように毎日聞き入ったものだ。
しかもそのレコードにはBACHの6曲の無伴奏組曲全曲のスコアが付いていたから、見よう見まねで弾いたり楽譜を見ながら聞いていた。
そのおかげでCasalsの微妙なブレスが知らぬうちに身に付いていったことはわたしの宝物だった。
6曲の中で最も熱中して聞いたのが3番だった。一番わたしの心を奪った曲だ。
その後50数年後、トーベルがCasalsの解釈を克明に記した楽譜が出版された。わたしは取り憑かれるように1〜6番のトーベル版の楽譜を忠実に弾こうとしているが、別の版で弾いてきたわたしにはこれは至難の業。しかし、弾いているうちにふとCasalsが降臨してくるかのような錯覚を抱く。
残り少ない人生、数年前からこの作業に熱中している。
わたしは70才前頃から頸椎や胸椎や腰椎に狭窄症や棘が発生し、痺れや痛みが随所に現れる。頸椎は医者に「今のうちに手術した方がいい」と言われるほど悪化している。そして左手の親指の付け根も狭窄症や棘が発生してかなり痛い。6番のプレリュードは弾けないのでしばらく休んでいる。しかし使わなければ治ると言うものでもなさそうだから始末が悪い。
今のところ2時間、調子がよくて3時間が限界。その間に集中して弾かねばならない。
しかし、わたしはBACHとCasalsのおかげでとても充実した日々を送っている。一日の2〜3時間が楽しくてたまらないのだ。この2〜3時間を中心に毎日が回っている。いつまで弾けるかわからないが最後の最後までこのBACHを弾きたいと思っているが、さてさてどうなるものか?...
次の写真は弓が持てなくなって下に落とした時のショックがあまりにも大きくて写真を撮ったものである。わたしの右手は全く故障がないので弾きながら落としたものではない。
楽譜に書き入れをしようとして左手に楽器のネックと弓を持って右手に鉛筆を持って譜面台に向かったとき、痛めた親指に力が入らずポロリと落としたのである。こんなことは62年間で初めてのことで、大きなショックであった。しかし、それほど体を痛めているのが現実であり今後更に悪化していくことだろう。もう決して左手で弓を持たないことにしよう...
これは人生を悲観する暗い話ではない。わたしの生きがいがそう長く続かないかもしれないが、それがあるだけでもいい人生だと感じるほどうれしく楽しい。
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