わたしのチェロはMartin Stoβ of Vienna (1778-1838) ということしかわかっていません。
普通、制作者名、製作年、製作場所はf字孔を覗くと裏板に貼られたラベルに書かれているものなのですが、この楽器は残念ながらラベルは張られているものの経年変化でインクが消えて解読は全く不可能です。 (写真上)
普通、この時代ではラベルは印刷されているのでインクが消えることはないはずだと考えられますが、手書きで書かれたのはStossが印刷ラベルを作れないほど貧乏だったか、まだ無名の時期で印刷ラベルを作る必要なかったのか・・・・・・
そんなことからこの楽器はStossの60年の生涯のなかで仮に42才の1820年にウィーンで製作したと仮定して想像をひろげていきたいと思います。
その前に、ラベルが読めないのに本当にStossの作品なのかを検証しなければ生りません。
実はラベルは信用しないというのがオールド楽器の常識なのです。オールド楽器の世界では模造品があふれかえっているのです。わたし自身も「ラベルを欲しかったら楽器の1割を払えば作ります」という話しを何度か聞いているのです。
だから例えこのラベルが解読できたとしてもそれをそのまま信じることはできないのが普通です。
ではなぜわたしはこれがStossだと信じているのか?それはStossの楽器といえば偽造ラベルを貼られて銘器に偽装されることはあっても、Stossの模倣楽器や偽造ラベルを作ったりするに値するほど有名な楽器ではないということです。すなわち何千万円・何億円もする楽器ではないので、わざわざStossの模造品を作る人などいないと考えます。
そんなわけで、この楽器を売ってくれたベルリンの店主(PLIVERTCS氏)がStossだと保証していること、他の本物のStossのチェロととてもよく似ていること等から[Stoss]と断定しています。
わたしはこのチェロを1973年ベルリンで購入し、翌1974年にオーバーホールを鈴木正男氏にお願いしました。その際、表板の内側に1882年(製作後60年後)に大修理をした職人のサインが見つかったのです(写真参照)。
製作して60年あまりで大修理を行わなければならない事件と言えば思い当たる節があります。
製作当時のヴァイオリンやチェロはバロックヴァイオリン、バロックチェロ全盛の時代でしたがまもなく、モダンヴァイオリン、モダンチェロに移り変わっていく時期でした。宮殿の中で演奏するだけではなく、より大勢の人に聞いてもらえるよう大きな音が出せるようチューンナップする必要に迫られ、ヴァイオリンもチェロも駒を高くして弦の張力を増す必要があったのです。すると当然指板を高くしなければならず、そのためにはネックの角度を急なものに交換しなければなりません。
ペグ穴も角度が変わってしまったために一旦穴を埋め、新たに穴を開け直して位置を調整した跡が残っています。
また、バロックチェロはエンドピン(足)がなかった時代ですが、この頃からエンドピンを装備することにより奏法がダイナミックで自由になることから、膝で挟む奏法からエンドピンを床に突き立てるようになりました。するとテールピースピンとエンドピンストッパーを共用することになり、穴を開け直している痕跡が残っています。
このようにしてこのチェロはモダンチェロに生まれ変わったのが1882年の大改造だったのです。
ちなみにわたしの学生時代のエンドピンは木製で、差し込んで使う方式でした。先端に金属棒が15cmほど長さを調整できる構造になっていました。チェロケースにはこの取り外したエンドピンを入れるポケットが付いていたものです。
わたしのチェロの胴体は普通より大きめですが、なぜかネックと指板は細身です。そこから想像できることは、この楽器の1820年頃のオーナーがベルリンに住む女性でリペアの際ネックと指板を細くするよう依頼したのではと考えることができます。
さて、全ての板を剥がしてから再度ニカワで組み立てていくのですが、一旦古いニカワを剥がすと写真のようにすごい状態になってしまいます。
いくらニカワが古くなったと言っても定評ある接着剤です。(ニカワの効果は50年とも100年ともいわれているが楽器の場合100年が限度らしい。また日本の気候ではニカワを濃くする必要があるとも聞く)
このニカワを全部剥がしてカンナで削って、再び組み立てる作業をするので、オーバーホールをする度にボディーの厚さが薄くなる事になります。
わたしのチェロは2度も胴体を開けているので当初よりは薄くなっているはずなのに重量が重い。計ってみたらエンドピンを抜いた状態で3kg以上あります。
1974年に2回目のオーバーホールした際「板が厚いので少し削って薄くします」と言われたが「あまり削らないでください」と言ってしまった。いま思うともう少し削ってもらった方がよかったかも知れないと後悔しているほど重いです。(当然重厚な音色はでますが鳴らすのが大変)
新作チェロが一般的にどれも軽めで(板が薄めで)音を出すのがとてもたやすいことから、音色を犠牲にして音の出しやすさを優先していると思われる今どきのチェロを見るに付け、その中庸がいいなと思ってしまいます。
まぁ、こんな様に自分のチェロからいろんな事が想像できるのですが、考えてみればStossがウィーンに住んでいた時代、かのベートーヴェンもウィーンにいたことになります。もしかしたらベートーヴェンはこの楽器を見たり弾いたりした可能性もありますし、この楽器の当時のオーナーのためにあのチェロソナタを書いたかも知れません。
そんなことを想像しながら大事に付き合って行きたいと思っています。