2017年1月
2017年1月31日 (火)
平日のスキー場(茶臼山高原スキー場)
年取って始めたスキーだが、昔は熱中したが、今は違う。 でも、年に1回は滑りたくなるものだ。それもリフトに数本乗れば充分満足するのだが!
雪原の遊びは人だけでなくイヌもワクワクさせる。今日はほんの数分だったが、手が治ったら何時間でも遊ばせてあげるよ!
2017年1月29日 (日)
マルモリートのマルゲリータを食べに
板敷のピザ屋さん[マルモリート]は大好きなピザ屋さんなのだが冬の間は開店が週末のみなので、なかなか食べに行く機会が取れないでいた。やっと暇な日曜日がきたので、野草を探索しながら歩いて食べに行くことになった。
ルートは宇連川の右岸にあるJR飯田線沿いの細い道で、人通りもクルマもほとんどないから犬連れ散歩には大変都合がいい。飯田線の線路には網が張ってあって犬も猫も線路に降りられないが、猿が何匹も線路に降りていたのに驚く。
節分草は逆方向だがコセリバオーレンはこのルート上に2箇所あり、梅園などもあるので、のんびり散歩しながら往復5時間ほどの散策。その間クルマが来たのは2台。電車1台。歩く人は見かけていない。
宇連川の渓谷はすばらしく、夏場はアマティの水あび場でもあり、場所を熟知しているので、時々渓谷に降りてチャポンと浸かっているのには驚いてしまう。
いい運動とおいしいピザで有意義な一日を過ごした。
今日食べたのはトマトとチーズ、ジャガイモとベーコン、カボチャとソーセージのピザ。
アマティはピザのミミのみ!
2017年1月27日 (金)
シリーズ[懐かしいクルマ] いすゞのミュウ(Mysterious Utility)
いすゞのMU(ミュウ)はわたしが乗りこなすことができた唯一のクルマかも知れない。
非常にコンパクトに仕上がったUtilityながら、わたしに必要な装備が全て備わっていた。
例えばディーゼルターボ、5速マニュアル、エアコン、エンジン回転数感応型パワーステアリング、アルミホイール、LSD、そしてわたしの四駆ライフで最も優れていた240mmという最低地上高などなど、いま流行りのSUV(Sports Utility Vehicle)の先駆けのクルマだった。
さらに月産登録台数40〜50台という巷ではほとんど認知度の無いクルマながら大変個性的なスタイルは、わたしをすっかり虜にしたものだ!
シートはフルフラット仕様だったので車中泊が容易となり、車中泊旅行が本格化したのもこのクルマからだった。
カーナビを設置したのもこのクルマからだった。今から思うとまずあてにならない代物だったが、それでもずいぶん重宝したものだ!
初めての北海道旅行(1992)もこのクルマだった。
この頃はまだ犬を飼っていない頃だったからかなり自由な旅行ができました。
7月に15日間の休暇を取って北海道の登山旅行をしたものでした。疲れたら道路脇の原生花園の中にテントを張り、テントの中に荷物を待避させてからクルマの中でゆったり寝ました。
この頃はどこに行くにもMTBを屋根に積んでいたようです。というか、山岳サイクリングがメインで、自転車をかついで山に登りながら旅行を楽しんでいました。
体力が最も充実していた頃(48才)ですね!...
2017年1月25日 (水)
2017年1月23日 (月)
2017年1月21日 (土)
朝鮮岩 偵察
静岡市近辺の山は全てと言っていいくらい自転車をかついで(下りは乗って)踏破しています。また犬連れハイキングも同様、歩いてないところはない程です。
この朝鮮岩も何度も来ているところですが、ふとしたことから「15分で登るルートがある」と耳にしました。
わたしたちは風邪上がり、アマティは指間症だけど、15分ならまぁいいかぁと言うことでルートファインディングにチャレンジしてきました。
おおよその林道・農道には心当たりがあるので登山道まで迷わずに行けました。
歩き出して朝鮮岩まで15分では無く25分かかってしまったが、トラバースルートを使えば5分は節約できるはずだ! 若者なら15分は可能だろう!
朝鮮岩は富士山、賤機山、有度山、愛鷹山、それに静岡市の景観がすごい! ただ、残念なことに富士山に大きな雲がかかっていてジャマ!(下に降りた頃には雲は全部取れたのが悔しい)
ルートは直登ルートだけにけっこう険しいが、距離は短いので汗をかくことも無く行ってこられる。
2017年1月17日 (火)
節分草が遅れてる
今回の滞在の一番の目的は節分草でした。
以前から「この冬は暖冬」と言われていたし、年末から正月にかけても暖かかったので、昨年の12月からこちらに滞在する度に様子を見に来ていたのですが、正月になって風邪を引いてしまい来ることができなかったのです。
それが「週末に大寒波が来る」というニュースが流れ、まだ風邪も治ってないのに極寒の地に滞在し、節分草に雪が積もった姿を見たくて待機していました。
1日目は蕾はたくさん出ていましたがまだ開いていません。2日目は昨夜からの雪が降り積もり、一面銀世界でしたが昨日の蕾が雪に埋もれて花が見れませんでした。3日目も雪の状態はほとんど同じで見れなかった。4日目は雪が溶けたけれど蕾まだ堅し。5日目がこの写真です。微かに開いた状態で中の黄色と紫色が可愛らしく顔をのぞかせていますがまだ開花とは言えない。
最後の写真。もしこの節分草が開花し白の萼、紫の弁、黄色のシベに真っ白な雪をかぶっていたとしたら大スクープなんだけどなぁ!...
節分草が大好きでおよそ30年も追いかけているが、雪をかぶった節分草はまだ数回しか見ていない・・・・・・
2017年1月16日 (月)
プリプリの岩牡蠣
山の中で生活していると無性に生ものが食いたくなります。
渥美半島まで来たんだからプリプリの[岩牡蠣]を食わなくては!...
いいお店が見つかりました。伊良湖岬に「活き作り」、「岩牡蠣」、「大アサリ」の看板が出ていました。
大アサリはボクは好きでは無いのでどうでもいいのですが、この大きな岩牡蠣にはマイッタ!ボクの口でも1口では食べられないです。半分に噛み切ったところでもう天国です。やはり牡蠣は生でなくっちゃぁね! 数日前、来るときに寄った牡蠣小屋の焼き牡蠣とは全くの別物!
タイとアジの活き作りもとてもおいしかったし、甘エビもおいしかったけれどカニはどうでもよかった!
久しぶりに本当に新鮮なおいしい魚介類を頂きました。住んでる小屋から片道3時間はかかるけどまた来たい!
2017年1月15日 (日)
2017年1月14日 (土)
2017年1月13日 (金)
2017年1月12日 (木)
セカンドオピニオン
アマティの肉球の指間炎は一進一退で完治まではほど遠かった。
一番最初に気付いたのは昨年の5月連休。それ以降よくなったり再発したりを繰り返し、9〜10月の雨の多い時期からほとんど慢性的にジクジクが発生するようになる。
抗生物質やステロイドの薬もあまり効かなくなり、なめないようにエリザベスカラーをしたりクツやクツシタをはかせたり、口輪をはめたり、更にはアレルギー検査をしたり、いろいろ手を尽くしたが一向に改善されず途方に暮れていたとき、FBのお友だちからセカンドオピニオンのお話しを頂き、今日厚木の病院まで行ってきた。
さすがに定評ある院長だけに見立てが全く違っていて目から鱗のお話しが次々と飛び出し、懇切丁寧に説明してくださる。
最終的には細菌検査の結果が出てから治療方法が決定されるというが「3月には野山を走れ回れますよ」とのお返事を頂きウキウキしながら帰路についた。
お友だちのありがたさとセカンドオピニオンの大事さをヒシヒシと感じた一日だった。
アマティは今日も診察台にピョコンと飛び乗って先生に褒められましたよ!
2017年1月11日 (水)
懐かしい写真 パジェロディーゼルターボLXショートホイールベースバン
大変満足していたランクル40を7年で乗りつぶし、次に選んだ車は当時はやっていたMITSUBISHIの紺色パジェロだった。
ただし、紺色パジェロとはいえ、わたしが選んだのは ディーゼルターボLX ショートホイールベース バンという実用本位のクルマだった。
当時、4ナンバー車は数千円で機械式ウインチが取り付けられる特典があったのだ。
右上の写真はコレクションのモデルガンを手にした得意そうなわたしの笑顔。
ディーゼルエンジンとは思えないスムーズな立ち上がりをみせるターボ付きエンジンにオドロキながら、軽い車体の走破性に大喜びしたものだ。
後部座席は4本のボルトを外せば取り除くことができるので、このクルマで始めて車中泊登山・旅行が始まる。
ただしこのクルマ、あまりにもスムーズな操作性のためかおよそ印象の低い面白みの無いクルマとしてわたしの印象は薄い。
2017年1月 9日 (月)
2017年1月 7日 (土)
シフトチェンジの達人
今ごろマニュアルミッションの話しをするのは時代錯誤かも知れない。しかし、今書いておかないとあの快感を忘れてしまいそうだから・・・・・・
その当時わたしが乗っていたランドクルーザー40は4速シンクロが付いていたので特に問題はなかったのですが、Wクラッチのあの豪快な音とリズムに見せられ、弟からその技を盗み出しマスターしました。(当時から弟は何でも知っているわたしの先生)
その結果、シフトアップ、シフトダウン共にクラッチを使わずとも自由にチェンジできるようになり、クラッチペダルが不必要になったのです。
この頃のクルマのクラッチはブースターが付いていないのでものすごく重いのです。わたしの長年の腰痛もこの重いクラッチと微妙な半クラッチに起因しているのではないかと思うほど重いのです。
だからクラッチを使わずにシフト操作できるんだったらこんなに楽なことはありません。しかも耳を澄ましながらエンジンの音を聞きリズミカルな動作を要求され、うまくいくとスコンスコンとギアが繋がるという、他では体験できない快感があるのです。
ランクル40のシフトレバーはもちろん変速機からダイレクトにすごく長くてハンドルのすぐ脇にあるので(写真のように)、慣れるととても操作しやすいのです。
すっかりノークラッチシフトをマスターしたわたしは次の課題に突き当たりました。
「最初の発進時だけはクラッチを切ってギアをローに入れる必要がある」ということです。う〜む、ここまでマスターしたんだからこの問題を何とかクリアできないものか?
そこで思い付いたのがエンジンをかける前にローに入れることでした。これならクラッチを切らなくても入れられます。そしてそのままクラッチを踏まずにエンジンキーをonします。そすればいきなりクルマは動き出しますが、あとはシフトアップもシフトダウンもクラッチを切らずに行うことができます。
そんな事を繰り返しながら得意なクラッチワークで楽しんでいたのですが、時代はいつしかオートマチックミッションが主流となり、4駆と言えどもマニュアルミッション車は淘汰されオートマチックとなってしまい、クラッチペダルそのものが消えてしまいました。
そんな時代に逆行するせめてもの抵抗は、オートマチック車でもギアはセレクトしていることです。クルマが信号等で止まったときはNまたはPに入れ、発進はDまたはLに入れて発進します。ブレーキは極力使わずにシフト操作けでスピードコントロールを行います。
この操作を繰り返すことで、いまやっと問題視されだした高齢者のギア間違い・ペタル間違いなどのボケを防げるのではないかと信じて・・・・・・・・!
写真には3本のシフトレバーが移っています。まん中の長いヤツがチェンジレバーで運転席側の短いヤツが四駆切り替えレバー(H2←N→L4)でH4は電磁式スイッチとなっていました。左の短いレバーは機械式ウインチ(W←N→LOW)レバーです。わたしのランクルにはウインチは付いていなかったので、この3本目のレバーはありませんでしたが、ランクルの次のパジェロには機械式ウインチが付いていたので3本のレバーがありました。ちなみに四駆切り替えもウインチ作動もクラッチ操作は必要です。
2017年1月 6日 (金)
アマティ5年前、誕生の日
今日はアマティのお誕生日です。ファントムとクララの子どもとしてこの世に生を受けました。
この5年間、ひと言で語り尽くせないほどいろいろなことが起こりましたが、いまアマティは元気に生活しています。
左の写真は今日のアマティです。
そして上の写真は生後2ヶ月でわが家にやってきたアマティです。
大きくなったものだし逞しくなったものだしお利口にもなりました。
右の子はアマティのように見えますが胸におっぱいがあります。アゴの下の白髪はそっくりです。
アマティと同胞犬で1番上の写真に写っているサラちゃんです。この子も5年間、たくさんツラいことがありましたが、いまはサラままと毎朝日本平の山を走り回っているそうです。
アマティもいっしょに行きたがっているのですが、トウサンは朝が弱いので連れてってくれません。
サラちゃんの写真、数枚もらったのですがちょっと解像度が低かったのでこの1枚のみアップします。
2017年1月 5日 (木)
2017年1月 3日 (火)
2017年1月 2日 (月)
永井 進、兎束龍夫、小沢 弘 ピアノ三重奏団
この写真は2009年、昔の小学校の音楽教科書を整理していて偶然見つけたもの。
チェロの師匠である小沢先生の写真は1枚も持っていないだけに、貴重な一枚なのだ。
写真が載っている教科書は1947年の発行だから撮影されたのはそれ以前であろう。
では一体この先生方がいくつの時だろう? 暇なのでその謎解きをしてみた。
永井進(1911〜1974)、兎束龍夫(196〜1985)、小沢弘(1902〜1965)で、小沢先生が亡くなったのは63才、わたしが藝大4年生の4月だったところから計算すると、写真の永井先生(ピアノ)は35才、兎束先生(ヴァイオリン)は40才、小沢先生(チェロ)は43才と言うことになる。
この時代ということは、東京音楽学校(現東京藝大)の同僚と思われる。
この写真が撮られて20年後、わたしが東京藝大に入学したとき3人は大教授だった。
写真からは何の曲を演奏しているのか解読できない、いったいどんな音をだしていたんだろうか?